今回は、少し前のこと、8月上旬にナイロビに滞在していたとき、キムに連れられて一度足を運んだポエトリーについて、そして、その関連で日本にいたときのことを投稿させてもらいます。
書きかけまま放置していた日記や曖昧になりつつある記憶を元に、最近改めて後半部分を書き加えたものです。
つぎはぎしながら書いた文章なので読みにくい部分もあるかと思いますが、よろしくお付き合いください。
ナイロビにいた頃に行ったポエトリーから話を始めさせてもらいます。
ポエトリーとは詩の朗読会のようなもので、数分間の持ち時間の中で出演者が好きな話題の詩を順番に披露していくというものでした。
事前に応募した人たちが出演できるそうなのですが、プロフェッショナルの人からアマチュアまでが参加できるそうです。
好きな話題と書きましたが、その多くは恋愛のようでした。
ただ、恋愛に限らず、自分のアイデンティティーや友人、家族、あるいは社会問題についてなど、どんな内容でもいいそうです。
まったりしたものをイメージしていたのですが、ある人はやさしいトーンで語り、ある人はラップのようにテンポよく力強く詠いあげ、ある人はバラードのように歌うなど、表現の仕方も様々でした。
正直なところ、速いテンポの朗読であったり、スワヒリでの朗読であったりで、内容をほとんどつかめないようなものも少なくはありませんでした。
ただ、そのムードは十分楽しめましたし、自分の心を打ち明け合うというイベントはとても新鮮でした。
映画館で開催されており入場無料だったのですが、日本ではなかなかないのではないでしょうか。
参加者の1人はプロの方だったのですが、その人はポエトリーよりも気軽に参加しやすい形にしたワークショップを開催している団体の方でした。
今回のポエトリーのように映画館のスクリーンの前に立ち大勢を前にして詩を披露するのではなく、少人数のグループでディスカッション形式で行うのだそうです。
そのワークショップでは、恋愛から始まり社会的な問題まで、例えばセックスやセクシュアリティーについてのディスカッションもしているそうで、コミュニケーションスキルを磨く有効なツールであるとイベント後に語ってくれました。
私がこれから関わることになるHIV/AIDSの予防啓発活動を展開していく際にも、このポエトリーという手法は、何らかの形で活用できるのではないだろうか、などと考えたりもしました。
ところで、ナイロビでポエトリーを見に行ってふと思い出したのが、日本で一度だけに見に行ったことのあるポエトリーのようなもの。
詩の朗読会、と言ったほうがいいかもしれません。
会場は新宿2丁目のディスコ、ケニアに向けて発つちょうど1ヶ月ほど前のことでした。
新宿2丁目と聞いてピンと来た方も多いかと思いますが、新宿2丁目はゲイの町として知られています。
ところで、なぜ私が新宿2丁目で開催されるポエトリー・朗読会に行ったか説明させてもらったほうがいいでしょうね。
HIV/AIDSと聞いて、皆さんは何を想像されるでしょうか。
怖い病気というイメージを持っている方も多いかと思うのですが、同時に、アフリカの病気、自分には関係のない病気と考えているか方も多いのではないでしょうか。
しかし、実際には日本でも新規感染者数は増加しており(ちなみに先進国の中で新規感染者数が増加しているのは日本だけなのですが)、幅広い年齢層にじわりじわりと感染が広がっているのが現状です。
適切な予防法を用いずにセックスをすれば感染しうる病気であるため、いわば誰しもが感染する可能性のある病気といってもいいでしょう。
ただ、日本の感染者の傾向を見ると、依然に男性間の性行為による感染が少なくないというのも、またひとつの現状でした。
ケニアのNGOでHIV/AIDSに関わろうとしているのに、自分の国の現状・現場を知らずして人様のことをとやかく言うのは違うのではないか。
ケニアに行く前に日本のことももっと知っておかなければならないのではないか。
そのように考え、私の知らない日本の現状の一面が見られるのではないかと期待し足を運んだのが新宿2丁目でした。
また、私の中で、どうしても日本におけるHIV/AIDSの問題と、アフリカにおけるHIV/AIDSの問題の間に接点が見出せずにいました。
おそらく「貧困」がキーワードのひとつとなるアフリカの問題。
一方、日本のHIV/AIDSの感染拡大という問題を考えても、何が問題の根底にあるのかも、拡大の結果どんな問題が生じているのかも、はっきりとしたものを捉えられずにいました。
そして、アフリカのHIV/AIDの問題と日本のHIV/AIDSの問題とが、全く別次元の問題のようにしか思えなかったのです。
それでも、アフリカと日本の間にも、HIV/AIDSを考える際の共通のキーワードがあるのではないだろうかとも思われたのです。
そんな私の知らない「何か」が見つかるのではないかと思い、新宿2丁目へと向かったのでした。
「Living Together」と題された、その詩の朗読会。
東京都のサポートのもと、ディスコで月に一度開催されているらしい。
ネットで簡単に下調べをしたものの、あまり詳細の分からないままであったが、まずは実際に行ってみることに。
手帳にメモした地図を手がかりに、地下鉄の最寄り駅から会場まで向かうのだが、街の雰囲気に戸惑いを感じる。
何かが違う。
手をつなぎ道を行きかうのは、男性カップル。
飲食店の前にアルバイト募集のチラシが張ってあるのだが、チラシの中の写真で微笑んでいるさわやか系のお兄さんは、制服を着ているのではなく、なぜかカラーブリーフ一丁。
壁に貼ってある、マッチョ系お兄さんのイラストのステッカー。
完全に肩に力が入る。
日本にいてこんなに緊張しながら街を歩くのは、初めて横浜の寿町を歩いたとき以来ではないかと思う。
何とか目当てのビルにたどり着き、ディスコのある地下へと階段を下る。
緊張が高まるなか、恐る恐る店のドアを開ける。
薄暗いディスコ。
カラーボールが天井からぶら下がっている。
一瞬、店のスタッフの視線が私に集まる。
ディスコという場所自体あまり縁がないので緊張するが、店のスタッフが全員男性であることが、さらに緊張を誘う。
店内に人影はまばらで、スタッフのお兄さんに詩の朗読会はここでいいのかとたずねると、1時間ぐらいしたら始まるから、それまでゆっくりしてくれとの回答。
が、全然くつろいだ気分になれず。
思う。
道端を歩いているときや電車に乗っているときなど、「あの子かわいいな」とか「乳でかいな」などと、いやらしい目で見知らぬ女の子のことを見ることがあるのだが、それと同じような形で、もしかすると誰かが私のことを見ているのかもしれない!
私のケツが狙われているかも知れない!
勝手な妄想が頭から離れず、ケツに力が入る。
休学してから都内の高校などに性教育の出張授業に行ったりしており、そこでは「いろんな愛の形があっていいと思う。異性間の恋愛だけではなく、同性間の恋愛だってありだと思う」などともっともらしく言っていたが、そんな言葉を撤回したくなる。
完全に偏見のかたまり。
受付のお兄さんに話しかけ、「HIVに興味があってここに来ました」的な自己紹介をする。
そんな会話の後、お兄さんの口から「ところで、ノンケですか?」という質問が出てくる。
「ノンケ? …!?」
ノンケって何だ!?
恐らく「その気がない」という意味なのだろうが、「その気」というのがヘテロのことなのだろうか、はたまたホモのことなのだろうか!?
ここで答えを間違えると、今までとは違った人生をこれから歩むことになるのではないかと若干パニックになる。
結局、ノンケとは異性愛者とのこと。
そんな風に周りの人とぎこちない会話を交わしながら、朗読会が始まるのを今かと待つ。
そして、だんだんと人が増えてくる。
到着してから1時間ほどした頃だろうか、イベントが始まる。
最初に、このイベント、「Living Together」の説明がある。
私たちの暮らしている社会にはHIVが存在している。
そんな社会で、HIVポジティブの人もネガティブの人も生活している。
そんなことを受け入れながら、HIVと、あるいは、ポジティブの人もネガティブの人も一緒に生きていこう。
「Living Together」にはそんなメッセージが込められているのだと説明がある。
はっきりと覚えていないのだが、そんなメッセージだったと思う。
説明の後、詩の朗読会が始まる。
HIVポジティブの人、ゲイの人、周りの人、そんな人たちの詩や手記を集めた詩集があり、そこから気に入った詩を選び、朗読するというもの。
匿名で寄せられたその詩集から朗読する詩を選ぶのだが、自分の書いた詩を選ぶのも他の人の詩を選ぶのも自由。
詩の朗読の後は、朗読をした人のフリートーク。
その詩に対する思いや体験談など、朗読した詩との関係の有無に関わらず、好きなことを語る時間となる。
毎回3人ほどが出演し、それぞれが詩の朗読とフリートークを繰り返す。
1人目はHIVポジティブのゲイ。
自分がゲイであることを受け入れること、ゲイとして生きていくことを選択すること、HIVポジティブであることを受け入れること、HIVポジティブとして生きていくこと。
そのどれもが決して容易いものではないことを、詩の朗読と彼のフリートークで知らされる。
彼なりにそんなことを受け入れた上でこのステージに立っているのだろうが、そんな彼が私と同じ歳であることを知り、さらに強い衝撃を受ける。
ヘテロセクシュアルでHIVネガティブな自分であるが、彼と同じような重荷を背負ったとき、果たして自分の足で歩くことができるのだろうか。
そんなことを考えさせられる。
2人目は二丁目でバーのマスターをしているポッチャリ系のゲイ。
HIVのステータスがどうだったかは、今私は覚えていない。
でも、ここで大切なのはHIVのステータスがどうこうではないのだろう。
記憶があいまいになりつつあるが、フリートークの中で彼は自分の過去をこんな風に説明していたと思う。
もう少し若い頃、STIに気を止めることもなく、かなりハイリスクなセックスを繰り返してきたという彼。
だがあるとき急に病気のことが不安になり、保健所に検査に行くことに。
保健所を前にしたときさらに不安が押し寄せ、足が止まり、その場に泣き崩れたという。
何とか友人の励ましで検査を受けるのだが、結果は予想に反しネガティブ。
そのときハイリスクな行為からは足を洗うことを誓う。
と、ここで話が終わるかと思いきや、どうしたことかまた過去と同じようなセックスをするようになったのだという。
そんなことを何度か繰り返し、最終的にどんなきっかけで危険なセックスから卒業したのかは覚えていないが、今に至るというという。
3人目は、ゲイでもHIVポジティブでもなく、厚生労働省の医系技官。
このイベントを告知するポスターにはネクタイを締めた彼の写真が載っており、ポスターからは新宿2丁目に似つかわしくない空気を漂わせていた。
が、彼のトークはそんな先入観を裏切るものであった。
医者としてではなく、お役人としてではなく、1人の人間として、家族について、命について彼は語った。
初め、フリートークで彼が自分の子供や家族の話を始めたときは、なんてこの場にふさわしくない内容なんだろうと思ったのだが(ゲイである彼らは家族と疎遠になるケースが多いし、男性間では子供は持てないので)、彼は自分の父親と子供の死について語り、それは場違いでもなんでもなく、HIVという言葉もゲイという言葉も出てこないながら、会場をひきつけるものであった。
三者三様の朗読とフリートークであったが、どれも興味深いものばかりであった。
そして、ここで感じた一番の感想は、これは確かにゲイを主な対象にしたイベントではあったが、ここで語られた恋人同士の関係や社会との関係、HIVと生きるということは、特にゲイに限ったものではなく、セクシュアリティーに関係なく敷衍して捉えられることができるのではないのだろうかというものだった。
実際のところ、日本全体で見たら男性間の性行為による感染が多いのだが、個々のケースで見れば、たまたま男性間での感染であったり、たまたま異性間での感染であったりするわけで、その前後に出てくる問題は、決してゲイだから出てきた問題ではないのだと思う。
多少のシチュエーションの違いはあれ、異性間であろうと同性間であろうと、お互いのSTIのステータスが分からない状態で関係を持とうとするのなら、コンドームを使うことがベストなことに変わりはないだろう。
そして、コンドームの使用を含め、カップルの間でのさまざまな課題に対すてコミュニケーションの機会を持つことの重要性というのは、ゲイのカップルだけではなくすべてのカップルに必要なものなのではないだろうか。
あるいは感染後のことを考えても、HIVをどうやって受け入れ、どうやって付き合っていくのか、また、HIVに感染した状態でどうやってパートナーと付き合っていくのかといった問題は、セクシュアリティーによって決定的な違いがあるものではないのではないだろうか。
そんなことをイベントの後に考えていたと思う。
そして、いままでのケニアでの活動を合わせて新宿二丁目でのイベントを考えてみると、さらにスティグマとイグノランスというキーワードが浮かんでくる。
日本とはHIV感染率の桁が違うケニア。
一方で、HIVに対する意識も高く、HIVの検査を受けている人の割合も日本とは桁違いに高いケニア。
そんなケニアであるが、いまだに感染が拡大しているのもまた事実であるし、アウトリーチに出ても、VCT(カウンセリングとテスト)を受けようとしない人に少なからず出会ったのも事実である。
そんな時、ケンやPEたちに、どうしてケニアでは感染がこんなにも広がり、またVCTが本来必要とされているほど十分に普及していないのかと尋ねると、必ず返ってくる言葉がスティグマとイグノランスであった。
正直なところ、この2つの言葉だけで語れるものではないと私自身は思うし、日本との違いの中で、他にもおぼろげながら見えてくるケニアの抱える問題点というものも感じたりする。
それでも彼らが言うように、スティグマとイグノランスの影響は大きいのだろう。
そして、今思うと、それは日本もまた然りなのだろう。
奔放で無防備なセックスを繰り返し、あるとき急に病気のことが不安になり、保健所に検査に行くも保健所を前にしたとき、あまりの不安から泣き崩れたというバーのマスター。
自分たちはもうすでにHIVの存在する社会に暮らしているということ、HIVに限らずSTIは自分にも関係しるということ、しかし予防策をとればHIV感染の可能性は0に近づけることができるし、感染しても適切な治療により死を恐れる病気ではないということ。
かつてのマスターがそんなちょっとしたことを知っていれば、彼は不必要にHIVにおびえることもなかっただろうし、HIVから逃げようとすることもなかっただろうと思う。
それと同じく、ケニアの人が知っていれば、日本の人が知っていればとも思う。
時代に即していない知識や誤った知識からスティグマが生まれ、スティグマが知識の更新の障害となり、イグノランスな状態となる。
イグノランスがさらにスティグマを助長し…。
そんなスティグマとイグノランスのスパイラルがあり、日本にしてもケニアにしても新規の感染例は止まらず、VCTへの足を遠のかせているのだろう。
だからこそ、適切な情報・知識が大切になってくる。
それに加え、問題を他人事として捉えるのではなく、自分に引きつけて捉える姿勢も大切になってくる。
だが、多くの人がそんな姿勢を取るようにするのも決して簡単なことではないのだろうとも思う。
そんなときに思い出されるのが、新宿二丁目での詩の朗読会「Living together」やナイロビでのポエトリーである。
ゲイという同じセクシュアリティーを共有するもの同士、あるいは若者同士が集う場で、自分の思いや悩みを語り、仲間の話に耳を傾け、皆でそれを共有する。
ポエトリーの場でHIVについて語るのは少し話題が重過ぎるかもしれないし、日本でHIVの詩の朗読会ができるのも、そこが新宿二丁目という特殊なコミュニティだからなのかもしれない。
それでもなお、ポエトリーという手段がHIVと向き合う際に、とても力強い手段になるのではないか、そんな風に今感じている。
今までのところ、ケンにくっついて仕事の手伝いをする程度のことしかできていないが、これから私のバックグラウンドを活かしつつ、何らかの形でケニアでアウトプットができないかと考えたりもする今日この頃。