2009年10月15日木曜日

ある日の夕飯



13日、カジャドゥ市内にあるマジェンゴ・スラムのPEに会いに行ったのだが、そのついでに、まだ辺りも明るい頃、PEから早めの夕飯をご馳走になる。

私は以前にも何度かそのPEにご馳走になったことがあるのだが、ケンは今回が初めて。
正直2人とも乗り気ではなかったが、PEの勢いに負けご馳走になることに。

程なく出されたのは若干の味の付いたお米と、淡水産の小魚をトマトなどと煮たもの。
すでに調理されていたものを再加熱してくれたのだが、気持ち程度にしか温まっていない。
大きななべに大量に残ったご飯を混ぜることもなく練炭の弱火で温めるだけなので、ほとんどの部分は冷たいまま。
少なくとも以前は熱の通ったものを口にできたのだが、今回はその過程が抜けている。
衛生的な環境とはお世辞にも言えず、私は恐る恐るそれらを口にする。

一方のケン、どんな反応を示すのかと思ったら、
「最近胸焼けがするから、冷たいお米は食べられない」
と言い張り、お箸、否、スプーンをつけようとすらしない。
私が食べている横で、小声で「こんな食事は全然衛生的ではない」とか「この小魚はいい部分をスーパーに出荷した後の残りかすだ」とか、「この小魚はちゃんと洗えていない」などと散々なこと言う(ケニアの淡水産の小魚は十分に洗わないと泥と小石が残っているのだ)。
私たち2人だけに食事が出されていたのだが、PEの子供を呼んできて、彼に食べさせようとする。
さらに、彼が手で食べようとすると、「イスラム教徒はスプーンも使わないのか」とケンは言う。
私たちもいつもは手で食事をしているのに。

オフィスで他のスタッフとの話を聞いていて思うのだが、私がケンとPEの間に感じる以上の差・心の壁を、ケンはPEとの間に持っているのだろう。

そんなケンを横目に、気が進まないなりに私はスプーンを動かす。
思えば、以前にこのPEの家で食事をしたあと、一度お腹が痛くなったことがあった。
しかし、何かを諦めながら、煩悩を捨て、無心になり食べる。
いろいろ考えながら食べるとつらいので、心をリセットして食べる、そう表現したらいいのだろうか。
が、どうしても不安が頭から離れない。
お皿の周りにたかるハエ。
以前にここのトイレで用を足したことがあるのだが、その不衛生なトイレとそこにびっしりと集まるハエを目にしているので、今目の前にいるハエがどこから来たのだろうかと思うと怖くなる。

ついに何とか完食。
思えば、ここに来てから出されたものはほとんど残していないと気づく。
ただ以前に、どうしても残してしまったものがひとつ。
それは他のあるPEの家で出された、彼女の家で作っている伝統酒だった。
彼女ら曰くトウモロコシから作ったアフリカン・ウイスキーなのだが、密造酒という表現も可能な代物。
コップに注がれたとき、家庭で作るお酒によく含まれるというメチルアルコールのことも気になったし、水割りに使っている水の衛生面にも気になったが、そのにおい自体にノックアウトされてしまった。
なんとも言えぬ甘いにおい。
鼻で息をしないようにしながら、恐る恐る口にする。
と、口にした瞬間、吐き気に襲われる。
何とかそれをこらえ、口にした分を飲み下す。
頑張って飲もうとしたが、そのときは結局お猪口一杯程度しか飲めず、謝ってコップに残った分を辞退する。

さて話は戻るが、そのご飯も終わりかけた頃、骨付きの肉(肉付きの骨?) を煮出して作っていたスープを出される。
火が通っているのを目にしているからか、ケンはこちらには興味を示す。
まずケンは、どこで肉を買ったのかと尋ねる。
返ってきた答えは、町の中心にある食堂。
ちょうど昨晩私たちが食事を取った食堂であった。
そこは肉屋を兼ねた食堂ではないので、食堂で出された肉の余りということになるのだろうか。
さらにケンは、何の肉かと尋ねる。
答えはラクダ。
何と先日私も目にし、写真も撮っていたラクダだという。
あのラクダ君たちのうちの1頭なのか!
これが生きることの本当の姿なのか!

スワヒリ語の会話の後、ケンに訳してもらいワンテンポ遅れながら会話に付いていく。

さて、アロエと共に煮たそのラクダ汁、まずケンが口にする。
ケンは悪くないとの感想。
それを聞き、私も口にする。
何と表現したらいいのだろうか、この味。
ケニアの肉、特によく口にするヤギの肉は日本の肉にはない獣臭さがあるのだが、そんな獣臭さを煮詰めたような味と表現したらいいのだろうか。
正直言って、まずい。
が、飲めないほどのものではなく、残すのも申し訳ない。
最後野嘔吐中枢が活性化され、下からこみ上げるような感覚に襲われつつも、「これはおいしいはずだ」と自分に言い聞かせながら何とか飲み干す。

なんともつらかった。
まずさもつらかったが、せっかく出された食事、PE家族の貴重な食材を削って出された食事を、喜んで頂いていない自分にもつらさを感じた。

そんなある日の夕飯であった。
写真:調理中、調理後