2009年11月16日月曜日

カジャドゥ

先週金曜日が、カジャドゥで過ごす最後の日となった。
もともと次の研修地であるブシアに移るのは土曜日の予定になっていたし、予定がよく変更になるここケニア、予定通りに異動になるとは思っていなかった。
というのも、ブシアへの異動の詳細について水曜日にナイロビのオフィスに確認しようとしても、忙しいから後で連絡するとの回答。
その後しばらく連絡がなく、ケンからは、カジャドゥを発つのは来週に延期になるのではないか、などと言われていたのだった。
金曜日の朝も、恐らく出発は延期になるだろうと思いながら家を出たのだった。
それが、オフィスに着いてしばらくしたころ、これから数日の予定が決まり、この日カジャドゥを発ち、翌週火曜日にブシアに向け出発、その間ナイロビに滞在することになったのだ。
私の出発が決まったので、ケンが急いで食堂で料理を予約し、APHIA IIのメンバーでお別れパーティー的な昼食会を急遽開いてくれ、食後、家に帰って荷物をまとめ、その後すぐにナイロビに移動という、かなりあわただしい一日を過ごすことになった。

この1週間全体を通しても、あわただしく時間の過ぎていった週だったと思う。
いくつかのイベント、そしてAPHIA IIとは別の新規プロジェクトの企画書をこの週のうちに仕上げなければならず、ケンはそれに忙殺されていたし、私はそんなケンの手伝いや、APHIA IIの他の団体のスタッフの仕事の手伝いをするのに精一杯だった。
残された時間の中、私がカジャドゥにいる間に日常の仕事をこなす以外にもできたらと思っていたこともあったが、言い訳になってしまうが、そんなことは忙しさの中でケンに取り合ってもらえることもなく終わってしまった。
残念な気もするが、ケンに期待されていた仕事をこなしたのだから、それはそれでよかったのかもしれない。

カジャドゥでの3ヶ月を、今の時点でどう評価したらいいのか、どんな感想や反省を述べたらいいのかよく分からない。
これから先、誰かに「ケニアのそのカジャドゥというところで、3ヶ月間何をしていたのですか?」と質問されたら、何と答えたらいいのかもよく分からない。

この3ヶ月、長かったようにも思うし、一瞬だったようにも思う。
楽しい時間であった気もするし、しんどいことも多かった気もする。
視界に入る人たちが全て黒人という状況にめまいを覚えることがあった一方、親しくなった人たちが「黒人・アフリカ人」や「ケニア人」ではなく「デイビッド」や「ルース」というかけがえのない一人ひとりの存在になっているのにも不思議な感覚を覚えたことがある。
私の買ったラジオでスワヒリ語のプログラムを聞いていることに文句を言いたくなったこともあった一方、私に関係のないちょっとした会話にも英語を使ってくれるAPHIA IIのあるスタッフの優しさに涙が出そうになったこともある。
そんなケニアでの経験と、医学生としても人間としても学ぶことの多いであろう大学5年目とが、どちらが密度の濃いものであったのかもよく分からない。
カジャドゥでの私の存在が、大きな視点に立って見たときにプラスに働いたのかマイナスに働いたのかもよく分からない。
確かなのはこれから3ヶ月弱、場所は変わるが研修が残されているということ(そして、その後には日本での大学生活が待っている)ことくらいだろうか。

ケニアでの研修、後半編が始まります。