2009年10月25日日曜日

HIVと私

・前置き
最近の投稿の内容が、ケニアでの研修日記、ではなく、ケニア滞在日記になっている気がします。
昨日(23日金曜日)もケンはカジャドゥにおらず、唯一した仕事らしい仕事は、PEにコンドームを渡したぐらい。
ケンの指示なくスラムにもあまりフラフラ行くなという言葉を最近頂いたので、本を読んで一日を過ごしました。
この半ばmasturbationのような内容のブログですが、そんなmasturbationの記録の一番熱心な読者が、間違いなくFatherであることを考えると、さらに気が重くなります。
さて、そんなブログですが、今回はタイトルのように「HIVと私」という内容で話をさせてもらいます。
学校の宿題のようなセンスのないタイトルですね。
以下、3本立てになっています。


・ADEOでHIV/AIDSに関わるということ
1年を休学しケニアに本部のあるNGOで研修をし、HIV/AIDSに関わる活動をしているわけだが、アフリカやケニアに以前から特別な思い入れがあったのかというと、申し訳ないのだが、特にそんなものがあったわけではない。
また、HIV/AIDSについても然りである。
ADEOでの研修を選択した一番大きな理由は、以前の研修生に対する憧れだったのではないかと思う。
大学1年の夏、持ち前の協調性のなさでいまだにクラスや医学部の部活に溶け込みかねていた頃、実家に帰省した際、兄に連れられて顔を出させてもらったのがアデオ・ジャパン(ADEOの日本支部)のミーティングや飲み会であった。
アデオ・ジャパンとして国内で展開している活動の話、アフリカ帰りの研修生の刺激的な体験談。
切れのあるミーティング、有能で活動的なメンバー達の横顔。
彼らがとても輝いて見えたし、自分にはないもの、今の自分の周りはないものがそこにはあるような気がした。
自分の学生生活も、彼らのそれに少しでも近づけるようなものにしたいものだと思ったりした。
が、それから結局、部活とバイトで1週間が終わるような、高知でのまったりとした学生生活を自ら選択することになる。
しかしそれでも、1年の夏に見た光景を忘れることができないでいたのも事実であった。
また、目をつむっていても進んでいく学年と、テスト前の一夜漬けの繰り返しで近づいてくる「医師」という文字にも焦りを感じていた。
そんな、ないものねだりの羨望と焦燥感からクラスを飛び出し、日本を飛び出し、何も考えずにひとまずたどり着いたのがここケニアであり、そこで出会ったのが単にHIV/AIDSだけだったのだと思う。

休学届のための保護者のサインと、1年間の軍資金のため、ありもしない脳みそで私なりにひねり出したもっともらしい理由を両親には並び立ててみたりはしたが、誰よりも両親が気づいていたように、休学する意味やアフリカで研修する意味、HIV/AIDSに関わる意味を、私は何も考えてはいなかったのだと思う。


・人の弱さとHIV/AIDS
説得力のあるようなことは何も考えられずにいた私。
ただ、HIV/AIDSに関わらせてもらっていることは、私にとってとてもいい経験になっていると思う。

少し話がそれるが、数年前の話をさせてもらいたいと思う。

病院実習をしている5年生の先輩何人からか、私を含め下級生がその実習の様子を聞いているときのことだった。
学年の中でも特に優秀だったある先輩が、こんな様なことを言っていた。
2型(つまり主に生活習慣による)糖尿病の患者さんを担当しているのだが、そもそも自分のせいで病気になった患者さんのうえ、入院までしているのに生活態度を改めようとしない。
そんな人に医療を施すのはナンセンスだと思うし、医師になったらそんな患者さんは相手にしたくない。
おそらくそんな旨だったと思う。
つまり、自分の手で自分の健康を害しているような人の相手はしたくないと。
その後、その先輩は有名病院に就職し、そこでもバリバリやっているという評判を耳にしている。

医師が医師たるには、まず知識と技術があってこそであり、人間性が医師を医師にしているのではないだろう。
そんな意味では、その先輩は医師の鑑だと思う。
だが少なくとも、その先輩はHIV/AIDSに関わるのには向いていないだろうとも思う。

というのも、HIV/AIDSは人の弱さにつけこむような形で感染し、発症するのだから。
無防備な性行為や注射針の回し打ちでHIVに感染し、検査や服薬を怠ることによってAIDSを発症するのだから。
HIV感染・AIDS発症には大いに自己責任という言葉が当てはまるであろうし、自分で自分の健康を害しているという表現も間違えではないだろう(※)。
そんなわけで、その先輩の求める患者さん像の範疇にHIV/AIDSは含まれないだろう。

(※)ただし血液製剤による感染や母子感染、望まない性行為、中国などで問題になっている売血による感染を除く。
しかし「望まない性行為」って何だ。
最初はレイプを想定して書いたのだが、途上国などでの絶対的な貧困状況の中で、他に生きる道の選択肢のない中で体を売ることで糊口をしのいでいる場合はどう捉えたらいいのだろうか。
あるいは、女性の社会的地位の低さとpolygamyの中で、自分を守るすべを取る権利もないまま夫から感染する女性とか。
実際、「私にとってコンドームに触れることは罪だ」って言っているムスリムの既婚女性もいるし。
というか日本の男だって程度の差こそあれ勝手だし。
ということで、上記の主張は、同等の権利を有するカップル間の性行為における感染、および自己の意思による薬物濫用による感染という、かなり限定的な状況の下でのみのものだと思ってください。

ただ、私自身としては、そんな人の弱さを相手にするような保健・医療も楽しそうかなと今は考えている。
もともと、高校の頃に医学部への進学を考えていた頃、私にとって身近な医師というのが、アルコール依存症や薬物依存症を抱える患者さんがよく通っていた診療所の医師であった。
自分の弱さに負けて自ら病を招いたような患者さんを相手に、諦めることなく見捨てることなく付き合っていくその診療所のスタッフたち。
そんな彼らが相手にしていた依存症という病気と、HIV/AIDSはどこか似たところがあるようにも思う。
予防することも可能な病気、自分で招いた病気、一生付き合っていかなければいけない病気、などなど。
もちろん違うところもたくさんあるが、人の弱さを見つめながら付き合っていかなければいけないという点では、どちらも同じであろう。

今の研修内容としては予防・啓発がメインになっており、治療分野は他の団体の守備範囲になっているため、あまり病気そのものと向き合う機会は少ないが、それでもこうやってHIV/AIDSに関われてよかったと思う。


・日本で見たHIV/AIDS診療
日本でもHIV/AIDSは広がっているというが、それでもまだ身近な病気としては捉えられてはいないだろう。
インフルエンザなどと違って、知り合いの誰それがHIVポジティブらしいなどという話は、日常生活ではあまり耳にしないのではないだろうか(それは単に感染率が低いということではなく、社会に対してカミング・アウトすることが困難であることも意味しているのだが)。
幸いというか、私自身はHIVポジティブの人がリソース・パーソンを勤めているワークショップに何度か参加したことがあったり、大学の関係でポジティブの人の話を聞かせてもらったりしたことがある。
なので、HIV/AIDSという言葉を聞いたときにも、具体的に今まで出合ったポジティブの人たちの顔が浮かんできたりする。
そして、私が日本で触れたHIVの現場として一番印象に残っているのが、以前にある病院に見学に行き、そこでお邪魔させてもらったHIV診療であった。
診察室の中という特殊な環境であったが、そこで私が見たものは、日本のHIV/AIDSの現状をよく表していたのではないかと思う。
そのときに個人的にメモしていた原稿があるので、ケニアでの研修とは特に関係ないが、ここでそれを紹介させてもらいたいと思う。

なお、その病院は長野県にある病院で、HIV診療の拠点病院に指定されている病院だった。
この長野県であるが、人口比で東京・大阪に次いでHIVの感染率が高く、異性間の性行為による感染の比率が東京・大阪に比して有意に高いという特徴のある県なのである。
その背景として、長野オリンピック前に海外から労働者が連れてこられ、彼らと共にCSWが長野県に入ってきたことが指摘されている。
その病院で、通称HIV外来と呼ばれている外来診療に私は参加させてもらったのだった。
もちろん対外的にHIV外来などと名乗っているわけではなく、HIVの患者さんを診療していると分からなくし、患者さんのプライバシーを守るため、一般の外来患者さんと共にHIV患者さんを診療しているのだった。

以下、そのときのメモを若干手直ししたものを転載させてもらう。


東京などの都市圏ではHIVといえば若者の感染する病気だと思われがちだが、長野県では中高年を中心に蔓延し、実際にその日の患者さんも3人とも中高年の方であった。
HIVという感染症そのものにくわえ、社会からの偏見、一日たりとも欠かせない服薬治療、飲み忘れによる耐性ウイルスの増殖など、患者さんの心を煩わせることはいくらでもあるのだろう。CD4やウイルス量などの目に見える数値に一喜一憂しながら、患者さんはこの病気と生涯付き合っていくことになる。しかし、実際に診察室で患者さんを前にすると、彼らがどこにでもいそうなあまりにも普通なおじさん・おばさんであることに少なからず驚かされた。私が勝手に持っていた悲壮な雰囲気は、一見すると見受けられなかった。
 1人目と2人目の患者さんは中高年の男性であった。1人目の方のウイルス量が増えていることを受け、先生が薬の飲み忘れはありませんかとたずねたところ、飲み忘れはないとの返事。しかし、診察室を出た後に先生がおっしゃるには、飲み忘れでもしない限り、そこまで検査結果の悪化は考えられないということであった。先生とのやり取りの間、その患者さんが見せるうつろな目を思い出し、なんとも切ない気分にさせられた。
2人目の患者さんも、同じくウイルス量の増加が認められた。問診の結果、こちらはHAARTの抗ウイルス薬と飲み合わせしてはいけない胃薬を飲んでいたためではないか、ということになった。患者さん向けの冊子をその患者さんに渡し、飲み合わせの説明をしたところ、患者さんは合点といった顔をした。しかし、患者さんが診察室を出たあとに先生がおっしゃるには、以前にも飲み合わせの説明はしているし、おそらくこれからも患者さんは飲み合わせの悪い薬を飲み、数値を悪化させるのではないか、ということであった。HAARTの登場によって、もはやHIVは死の病ではなくなったが、HIVやその治療と向き合っていくことが思いのほか困難であることを思い知らされた。
3人目の患者さんは、60歳過ぎだろうか、おばちゃんであった。ベージュの帽子を被り、きれいに着飾ったその患者さんは、彼女の明るい雰囲気からも、年齢からも、私の抱いていたHIV患者さんのイメージからはかけ離れたものであった。2人目の患者さんと名字が同じだと思ったら、2人はご夫婦ということであった。
そのとき、以前先生がおっしゃっていたことを思い出す。旦那さんがHIVの場合、奥さんも感染していると分かったとき、残酷かもしれないが安心する。HIVに感染しても奥さんにそれを感染させないような関係のカップルの場合、離婚に至るケースが多い。HIVに感染し、家族までも失った人は、ウイルスによって命を落とすのではなく、自らの手によって命を絶つケースがとても多い。一方、カップルでHIVに感染したケースでは、HIVに向き合うためのパートナーがいるわけで、独り身のケースよりも比較的良好な経過をたどることが多い。そんなことを先生はおっしゃっていたのだった。
さて、そんな彼女の診察中、ひとつ気になることがあった。彼女が「今日もお願いします」と言って、黒いビニール袋を先生に手渡すのである。最初、ここが田舎なだけに、家で採れた野菜や漬物などを、お世話になっている先生に差し入れに持ってきたのかとも思った。それにしても、数枚重ねにしたその黒いビニール袋は何か不自然であった。診察が終わり患者さんが診察室から出ていった後で、私は先生から、袋の中身が何か分かるかと尋ねられる。もちろん私には答えは分からない。が、先生にその袋を持たせてもらい、思いの外軽いことに気づく。結局答えが分からないまま、その黒い袋を開けさせてもらう。中身を見て驚く。中身は、HIV治療薬の空になったプラスチックのケースだった。先生がおっしゃるには、仮にも近所にそのケースを捨てたとき、ご近所さんからHIVの治療を受けていることが知られるのが怖く、そのために病院でケースを処理してもらうために患者さんは毎回ケースを持ってきているということであった。日本におけるHIVの受け止められ方を知らされるような、印象的な診療見学であった。