2009年9月10日木曜日

日本のNGOの見学

予定がころころと変わる今日この頃。
ケンの話を正確に聞き取れていないから予定が変更してばかりなのかと思っていたこともあったが、そうではなく、実際に予定がころころと変わっているよう。
この前もカジャドゥに来ることになっていたスタッフが、来る予定になっていた当日になってから、来るか来ないかで一日のうちに話しが二転三転したりしなかったり。

4日(金)はナイロビのオフィスに行く予定だったのが、前日に予定が変わり、私だけカジャドゥに残ることに。
ただオフィスでする仕事は特にないとのこと。
オフィスでぶらぶらと時間をつぶすのも嫌だったので、ナイロビで活動している日本のNGOに見学をお願いできないかと考える。
かなり急なお願いになってしまったが、木曜日の昼過ぎに連絡し、翌日の見学を受け入れてくださるとの了承をいただく。

その団体は日本の病院が母体となっているNGOで、ナイロビ市内にクリニックを構え、HIV患者の診療を行っているほか、日本からの支援をもとに市内のスラムに住む子供たちの支援を行っている団体。
日本を発つ前、日本にいる間にも何人かの人からも寄ってみるように勧められた団体であり、また、その経営母体となっている病院に3年ほど前に見学に行ったことがあり、病院でケニアにあるNGOのことも少しだけ伺っており、頭に残っていた、そんな団体だったのだ。
カジャドゥでの研修が始まる前に寄りたかったのだが予定を空けられず、ずっと寄りたいと思っていた団体だったのである。

当日、時間に余裕を持ってカジャドゥを出たつもりだったが、ナイロビ市内に入ってからの渋滞で30分近く遅刻。
ケニア人にも勝るとも劣らぬ時間にルーズなことをしてしまったが、待ち合わせの場所に来てくださったYさんは温かく迎えてくださる。
ちなみに、ナイロビに長いこと滞在して団体を引っ張っていっていらっしゃるのはMさんだそうなのだが、丁度そのMさんは数日前からナイロビを離れており、Mさんが留守の間の数ヶ月間、Mさんと入れ替わりで日本の病院から派遣されたのがYさんだった。

Yさんに案内され、待ち合わせ場所からクリニックへと向かう。
クリニックに入ってすぐの待合室には、決して多くはなないのだが患者さんが順番待ちをしている。
今までの私の活動は、スラムなどでのフィールドワークやオフィスでの仕事がメインで、病院の患者さんとすれ違うようなことはあまりなかったので、病院独特の重たい空気に身構えてしまう。
あるいは、目の前にいる患者さんはHIV陽性者かもしれないと思うから、肩に力が入ってしまったのだろうか。
今回ケニアに来てから初めてネクタイを締め革靴を履いてきたのだが、病院特有の空気を前に、Tシャツとジーンズを着てこなくて正解だったかなと思う。

恐る恐る入ったクリニックであったが、スタッフの方との自己紹介が始まると重苦しい空気は吹っ飛び(と言っても勝手に身構えていただけだが)、ケニアらしい明るい空気となる。
夏休みには日本からの学生がちゅくちょく来ているらしく、そもそもMさんをはじめ日本人が深く関わっているクリニックだけあって、いい意味でスタッフの皆さんは日本人慣れしており、飛び入り見学の私を歓迎してくださる。
日本人は英語が苦手なことを理解していてくれていることもあり、居心地の良さを感じる。

自己紹介の後、Yさんにクリニック内を案内していただく。
日本の田舎の診療所にすら見劣りするぐらいの機器しかなく、薬棚のあまりのシンプルさには驚かされたが、それでもHIV関連の治療薬は最低限取り揃えられているそうで、ナイロビでHIVをもつ人たちにとってはなくてはならない大切なクリニックであることが伝わってくる。

HIV感染は直ちに死を意味するものではないというのが、現在の教科書的知識ではあるが、それはあくまでも適切な時期に感染が分かり、適切に治療・服薬が行われたらの話であるのもまたひとつの事実。
偏見・差別といった言葉で片付けることは簡単だが、検査を受けにいくことにも、家族などに感染の事実を伝えることにも、規則正しく服薬を続けることにも、常にハードルが付きまとうのであろうことを、こうやってクリニックに来ることで考えさせられる。
カジャドゥでの活動が予防に軸を置いたものであるため、感染が判明したその後というものを深く考えずにいる自分に気づかされる。
予防活動であっても、目の前にいる人がポジティブであってもネガティブであっても受け入れられるようなメッセーを伝えていくことが求められているのだと、改めて考えさせられる。


クリニック内の簡単な案内のあと、スタッフが支援しているスラムの子供たちのところへ巡回に行くというので、Yさんとともにそれに同行させてもらう。

国内線の飛行場に隣接した土地にそのスラムは広がっている。
そしてスラムのすぐ隣は、きれいな家の立ち並ぶ中流階級向け住宅地。
カジャドゥにいるために危機管理意識が薄れかけているのだが、ここは始めて足を踏み入れるスラム。
Yさんのアドバイスでカメラなどの貴重品はオフィスに預け、そしてネクタイをはずしスラムへ。

月々1口1000円から始められるという日本からの支援金をもとに、スラムの子供たちがクリニックで診療を受けられるという事業を展開しているのだが、1人の支援者に付き1人の子供が割り当てられ支援が行われ、支援者のところには写真や子供からの手紙が日本へ送られるのだという。
今回はその子供たちのところを回るというのがスタッフの主な用事。
一軒一軒スタッフが家を回るのに私たちは同行し、子供の様子を聞いたり写真を撮ったりしている様子を見学させてもらう。

見学させてもらうと書いたが、正直なところ、Yさんばかりとずっと喋る。
やはり日本語での会話は楽だし、日本人同士のほうが何でも喋れる。

スラムの様子であるが、カジャドゥのマジェンゴスラムとは様子が全然違う。
マジェンゴは田舎だからかとても広々としており、庭付きの家も少なくないが、ここはナイロビ市内とあって所狭しと家(小屋?) が建ち並んでいる。
スラムの中を迷路のように走る路地は細く、前日の雨でぬかるんでいる。
家もこちらのほうがみすぼらしいように思われる。
ただ、日本のNGOがスラムの支援に入っていることが知られているからか、友好的な雰囲気を感じる。
マジェンゴのように酔っ払いにお金をせびられることもなく、所在無さげに道端でぶらぶらしている働き盛りの年齢層の男性も、そこまで多くないように感じる。
スラムと呼ばれる地域に住んでいる人でも、マタツに乗りスラムの外に働きに出ている人も多いという。
実際、クリニックのスタッフでもここのスラムに住んでいる人がいるのだという。
スラムと言っても、ナイロビ市民にとっては立派に居住地域として機能しているのだろう。
しかし、不法滞在という言葉はしっくりこないながら、彼らは法的根拠があってここに家を建てているわけではなく、仮に再開発のための立ち退きを迫られた場合は、逆らえないのだという。

昼過ぎにスラムを後にする。
9月に入り夏休みも終わったようで、学校帰りの制服姿の子供たちがスラムの横の空き地で遊んでいる。
写真は、クリニックと、スラムの幼稚園のようなところでのもの。