2009年11月16日月曜日

写真あれこれ


20091115写真あれこれ

この写真は、朝、集合住宅にいるときにケンが撮ってくれたもの。
ケンは自分のカメラでこの写真を取ったのだが、考えてみると、私自身は、自分のカメラで子供たちと私とが一緒に写っている写真を、この集合住宅で一度も撮っていないのである。
この写真をケンが撮っていたときには予想していなかったのだが、この日をもってカジャドゥを離れることになったので、この写真が、集合住宅で私と子供が写っている、最初で最後の写真となってしまった。

いまさらこんなことを言ってもしょうがないが、撮ろうと思ったまま撮らずじまいになってしまったものがいくつかある。
そのひとつが、いかにもマサイ族、といった伝統的な格好をしたマサイ族の人の写真。
ビーズで作った首飾りをつけ、耳が引きちぎれんばかりの耳飾りをぶら下げた彼らの写真。
彼らはあまり写真を撮られるのを好まず、観光地などでは写真を撮る際にはお金を払うのが通例となっている。
カジャドゥにも、そのままポストカードになりそうな格好をした人も多く、撮れないことはなかったのだが、チャンスもなく3ヶ月が経ってしまったのである。
仲のよいPEの親戚が伝統的なマサイの格好をしており、彼女の写真を撮ろうとしたときは、ウイルスのせいでカメラのメモリーカードが作動しなかったし、同じ集合住宅内にも、1人マサイ族の衣装のおばちゃんがいて、彼女とも親しくなっていたので、頼めば問題なく写真が取れただろうが、あまりにも急にカジャドゥを離れることになったので、頼む余裕がなかったのである。
うーん、残念。

さて、話をケンが撮ってくれた写真に戻そう。
以前にブログに添付した、赤いパーカーを着た子と、この写真に写っている2人の子供が、集合住宅内でも私のお気に入りであった。
彼らに共通しているのは、まだ小さいために学校に行っておらず、英語が喋れないということだった。
英語でコミュニケーションが取れないのに、年長の子供たちよりも彼らと仲がよかったのは、ひとつは、学校がないために彼らと庭で出会う機会が多かったということがあるだろう。
ただ、理由はそれだけではないとも思う。
英語が喋れる年長の子供たちは、英語と共に若干のあつかましさも身に付けており、時にため息を付きたくなるようなこともあったのに対し、年少の子供たちはそれがなかったのだ。
年長の子供たちは、「折り紙を作って!」とか「お菓子を買って!」と私に声を掛けてくるのだが、折り紙やお菓子を持っていない私には特に興味がないようであった。
一方、この子供たちは、私を見つけると全速力で近くに寄ってきて、笑顔を振りまいてくれるのである。
私が「Hello!」とか「How are you!?」と声を掛けるだけで喜んでくれ、高い高いするだけで喜んでくれるのである。
私の心の器が小さいといえばそれだけだが、でも私はそんな年少の子供たちが大好きであった。

年長の子供たちが折り紙などを先に持っていってしまうので、年少の子供たちには高い高いくらいしかしてあげられなかったが、それでも年少の子供たちとの方が仲がよかったというのは、皮肉な結果でもあるような気がする。

そして、ものをあげるという行為は、とても難しい行為のように思われる。

今週末はケンのナイロビの家に泊まっているのだが、ケンの9歳の息子マークから、「オサムはいい人だよね。だってお菓子を買ってくれるんだもん」と言われたときは、苦笑いするしかなかった。
あるいは、以前、中国政府がケニア国内の道路建設を大規模に支援していることについてケンと話をしているとき、ケンは「中国はいい国だ。道路を作るためにお金をくれるのだから」と言い、「道路建設によってケニアの交通事情が改善され、経済が発展するのは重要なことだと思う。ただ、外国が支援をする場合、ケニア人のエンパワメントにつながるものである必用があるんじゃないの」という私の主張は、彼には届いていなかったのを覚えている。
また、町中で「Hi, my friend!」と親しげに声を掛けてくるものの、最終的にソーダやビールをおごってくれ、と言ってくる大人たち。
私自身、初対面の人からビールをおごられたことは、一度ならずともあるので、友人におごり、おごられるという関係は決して否定すべきものではないだろう。
ただ、友人同士だからおごるという関係ではなく、外人だからおごるという構図になるのはどうしてもいい気分にはなれなかった。

ものをあげるという行為をどう捉えたらいいのかということは、ずっと私の心を煩わせてきた問題であったが、この小さな子供たちはいつも心のモヤモヤをリセットしてくれるのだった。
そんなこの子供たちとのこの写真は、私の一番のお気に入りの写真である。