2009年11月9日月曜日

折り紙



ケニアへ向け出発する前、ケニアへのお土産として、海外での単身赴任経験のある父親から勧められたものが、折り紙の作り方を書いた紙のコピーだった。
実際、折り紙はケニアに来てから、特に近所の子供たちから好評で、この10年間にはないほど、子供たちのためにたくさんの折り紙を作ったと思う。私の数少ないレパートリーの中で、鶴や手裏剣、花などを作ったのだが、子供たちから作ってくれと一番よく言われたのは、平行四辺形のパーツを組み合わせて作る立方体やテトラパックのような箱だった。カジャドゥに来た当初は日本から持ってきた折り紙用の紙で、途中からはその紙では間に合わなくなってきたので、新聞紙で折り紙を作っていた。子供たちにとっての「Products of Japan」になるのだと思うと手抜きもできず、できるだけ丁寧に作っていた。
あまりにもよく子供たちから折り紙を作ってくれと言われ、その要求に応えるのも大変だったし、私がいなくなった後にも自分たちで作れたら楽しいだろうと思い、少し前、子供たちに折り紙の折り方を教えようとしていた時期があった。まだ小さい子供たちが多かったし、ケニア人ならではの雑さで、ほとんどの子供たちは完成にたどり着く前に嫌になり、私に丸投げすることも多かった。ただ、その中でも年長の女の子は比較的器用で、私が一緒に折りながら教えたら、それに従って同じように折ることができるまでになっていた。折り方自体は覚えていないが、折り方さえ分かれば一人で折れる段階、と言ったらいいのだろうか。彼女なら、折り方を書いた紙があればこれから1人でも作れるようになるかなと思われた。そこで、立方体の折り方を書いた紙はあいにく持っていなかったので、立方体の折り方の紙を私が自分で作り、彼女にプレゼントしたのだった。
一人に何かものをあげると、必ず他の子供たちから自分にも頂戴と言われるのがいつものパターン。彼女1人だけにその折り方の紙をあげたら、他の子供たちからもねだられるかな、同じものを再度書くのは大変だから、コピーでも取ったらいいかな。そんなことを思いながら、彼女にその紙をあげたのだった。が、私の予想に反し、彼女にその紙をあげたその日、他の子供たちから同じような作り方の紙をくれと言われることはなかった。
さて、私を驚かせたのはその翌日、朝起きて家の外に出たときだった。私や子供たちの住んでいる集合住宅の庭、そこに私が昨日彼女にあげた折り方の紙が転がっているではないか。いらないものは家の外に捨てるここケニア、私の作った折り方の紙もいらないものとして捨てられたのだろうかと考える。いや、きっと彼女が気づかないうちに風に飛ばされてしまったのだろうと、前向きに考えることにする。そして、その紙を拾い、子供たちにも見えるように、窓の内側に置いておくことにする。しかしである、子供たちはその紙の存在に気づいているはずなのに、最初に私がその紙をあげた彼女は何もなかったようであるし、他の子供たちも全くもって関心がないよう。
結局、その紙は誰からもねだられることもなく、何週間か窓際に飾られたまま。そして、子供たちは相変わらず「折り紙はないの?」と聞きに来、そして「作り置きの折り紙はない」と私が答えると、「じゃあ作っておいてよ!」と言ったきり、どこかへ行ってしまう。
この一件は私を落胆させるものだった。悲観的になることはないのだろう。ただ何か、この一件は、今週をもって終わろうとしている、私のカジャドゥでの3ヶ月を象徴する出来事であったような気もする。