2009年8月29日土曜日

ケンの家へ

ケンの家へ

この週末(8月22日から)もカジャドゥを離れ、ナイロビ郊外にあるケンの家に行く。
仕事のためもあるが、24日(月)の晩にケニア中で人口調査(センサス)があり、調査期間中は家にいる必要があるので戻るのだという。
私自身はナイロビに戻る必要があるわけではないが、一緒にナイロビへ向かう。

ナイロビへ向かう前、27日にあるMTGのための会場探しをする。
一軒目のホテルはだめで、2件目のホテルで予約。
ホテルといってもたいした建物ではないのだが。

ホテルの食堂で世界陸上男子マラソンを見る。
ケニア勢がトップを走る。
ナマンガで言われた、ケンの「日本人はアスレチックじゃない」という言葉が頭に残っているからか、やっぱり悔しい。
結果はケニアが上位を占める。
佐藤が6位で活躍を見せてくれ、ほっとする。
海外にいると日本人の活躍をより強く意識してしまう。

昼飯の後、ナイロビへ移動。
ケンの家へ。

最初はマークがおらず、エスタ、グロリアと遊ぶ。
(※3人ともケンの子供で、マークとグロリアは双子の兄弟で9歳、エスタは1歳ちょいの女の子)
その後にマークが帰ってくる。
私と二人の距離が近くなっていることに妬いているような気もする。
子供を平等にみるっていうのがとても大変などだと思う。

一度出会っているからか、子供たちがよくなついてくる。

カメラで遊びまくるから電池切れになる(翌日の調理の様子などを写真に撮れず残念、まあチャージャーを持ってこないほうが悪いのかな)。

夜はグロリアと一緒のベッドで寝る。いやらしい意味じゃなくて。
寝返りをうったりするので、あまりよく眠れず。


日曜日は一日中、ケンの子供たちと遊ぶ。

とてもいい息抜きになったが、子供たちのハイテンションにペースを合わせているので、それなりに疲れる。
でもやっぱり子供はかわいい。

昼に世界陸上の女子マラソンを見る。
昨日も男子マラソンを見たのだが、日本人選手の走りに手を汗を握る。
結果は、中国人選手についで日本の尾崎が2位。
途中でケンたちはアフリカが勝つに決まっていると言っており、実際昨日の男子マラソンではケニア勢が優勝していたのだが、女子マラソンでは見事アジア勢が活躍してくれ、何か自分が勝ったようないい気分。

エスタ、グロリア、モリーンと牛乳などを買いに行ったり、グロリア・マークとまた別のところに牛乳を買いに行ったり。
今までになかった楽しいひと時。

モリーン(ケンの家で同居している親戚の学生)が外国語を学ぶことの大変さを知っているからか、スワヒリ語の勉強に協力してくれる。
ネイティブに教わるにしても、考えながら教えてくれる人に教わりたいと思う。

子供たちはかわいいが、お菓子などを買ってくれとねだられるのには疲れる。
別に高いわけじゃないが(アボガドやバナナが5シル!)、買うのがいいのか迷う。
そして私の持ち物を何でも欲しがる。
マークは私の懐中電灯を持ったまま気に入り、なかなか返してくれない。

この日の晩は豪勢に鶏を一匹さばいて調理してくれる。
もう締めたあとであったが、羽をむしられた生々しい鶏が一羽。
とても上手にさばいていく。
チャパティ(小麦粉を練り、薄く焼いた主食のひとつ)の作りを見させてもらい、最後の一枚を実際に焼かせてもらう。

その晩、ベッドでケンの息子マークと一緒に寝るのだが、寝ている最中にマークにブランケットを完全に奪われる。
寝る前にトイレに行ったのだが、その間にもうマークがブランケットに包まって寝息を立てているので、悪くてブランケットの端で寝ようとするが、結局ブランケットの外に追いやられる。
気温が低く寒くて熟睡できず。


月曜日。
翌朝起きたら風邪気味。
腹を壊すより先に風邪を引く。
以前に海外に行ったときも、下痢ではなく風邪をひいたことがある気がする。
寒さもさることながら、疲れもたまっているのだろうか。

この日は調子がすぐれないながら、ADEOのナイロビオフィスへ。
資料の整理などをする。
PEが提出する活動報告をまとめ、後にPEの活動の評価をするのだという。

仕事の後、親子でADEOのスタッフをしている家族の家に、彼らの車に乗せてもらうがてら寄る。
ケンの家から歩いて15分といったところだろうか。
車を持ち、家も大きい。
子供は6人(養子が2人)

スワヒリ語のニュースで、日本から食糧支援の資金が提供されたとのこと。
このニュースを見たかったが、家で英語で見られるからとその家を後にする。

ケンの家に直接帰らず、近くの飲み屋による。
スティーブン、おかみさんなど見知ったメンバーがいてほっとする。

その後帰宅。
晩御飯を作ってくれるのだが、あほみたいに塩辛く、そしてRoycoの味がして、ケンがいつも大量の塩とRoycoを料理に使うのが理解できる。
(※Roycoはケニア版「味の素」みたいな調味料で、かなりポピュラーだと思われる)
(※ケンに限らず、ケニア人は塩と砂糖を大量に摂取する。紅茶に砂糖大さじ3杯とか)

晩、風邪を悪化させないように気にしながら寝る。
ただブランケットに完全にくるまれることはなし。


火曜日
朝起きても調子が悪い。
それを言ってもあまり取り合ってもらえず。

そして一緒に薬を買いにいこうと言われる。
安静が一番の薬だといってもこれも取り合ってもらえず。

近所の子供と外に行くのだが、まず体調がすぐれずしんどい。
そして私を独り占めしようとするからしんどい。
お土産やお菓子をねだられるからしんどい。
しんどい。

その後、カジャドゥに帰るためにケンと家を出発し、ナイロビ市内でデジカメのコンパクト・フラッシュ・ディスクの読み取り用のカードリーダーを購入する。
これでデジカメのデータを取り込み、アップできます!
(※日本から持ってきた謎なケーブルは何のケーブルだったのでしょう…)
カードリーダーがちゃんと使えるかケンが試すが、その扱いの荒さにイラッとくる。
ケンに感謝しつつも、どうもイライラする。
体調が悪いこともあり、私は始終機嫌斜め。

ケンは親戚に会う用事があるということで、先に1人でカジャドゥへ帰る。
逃げ帰る、といった感じか。
カジャドゥの品揃えの悪さにかなりガッカリきていたので、ナイロビのスーパーで食料を調達したかったが、ケンが荷物をマタツ(ケニアの乗り合いバス)乗り場に預けていた関係でスーパーにいけず。

半径100m以内にケンがいる状態が続いており、一人の時間が持てたのは久しぶりな気がする。

ネットカフェに行きたかったが、門の鍵の関係で外に出ることを諦め、家で日本から持ってきた本を読む。
その間カメラの充電。
そして写真をパソコンに取り込む。
カードリーダーがちゃんと作動しうれしい。

家にいる間にセンサスのオフィサーが来る。
10年に一度の国勢調査のようなもので、センサス前にはテレビでも特集が組まれ、協力を呼びかけたりしている。
なんとこのセンサスのために、翌日が急遽休日にするよう大統領が宣言。
それほどに大掛かりなもののようである。
ナイロビのケンの家にセンサスが来たのか、来たとしたら自分はカウントされたのか、どちらもよく分からなかったので、カジャドゥで登録してもらうことにする。
ケンはナイロビの家で登録されるらしいので、カジャドゥの家では私だけ登録することに。
世帯主の名前のほか、同居人、宗教、民族、学歴や職業に始まり、障害の有無、飼っている家畜の種類や頭数、家の造り(石造りとか)、トイレの様子、調理の方法(練炭とかガスとか)、水の入手法などが質問項目になっている。
ケニアらしいとても面白い項目であった。
民族も宗教も生活環境もばらばらな人たちが暮らすケニアにとって、その国民の生活像を正確に把握するのはとても大変な作業であることは容易に想像がつく。

8時ごろにケン帰宅。
ナイロビで分かれたときは私の機嫌が悪かったが、帰ってきたケンは明るく、ほっとする。
ケンはウガリ(東アフリカの主食、とうもろこしの粉で作る)だけ調理し、その他は手伝わずに後の料理は私が調理。
また私は機嫌が悪くなる。
魚や卵の生食の話などで笑われ、さらにイラッときて、最初は英語、その後日本語でキレる。
が、日本語で切れることに対し「You make me funny」と笑われる。
キレるのも馬鹿らしくなり、その後機嫌を取り戻しまた普通に会話。

あと、ご飯のときに塩を取りすぎだといったら、自分は6g(食塩の摂取目安)も取ってないと言われる。
そして、日本人は魚などを生で食べるから、醤油を使うことになり、そのために塩を取りすぎているんじゃないかと逆に言われる。
どうなんでしょうか。

まだ調子が悪く、風邪気味。

ケンにはイラッとさせられることも最近多いが、一方で人の良さを感じたりもする。夜中にパソコンをつついていても何も言われないし。