2009年8月19日水曜日

マイリティサ

8月14日

ADEOでの初日の仕事は、ケンと一緒にAPHIAⅡ(※)の現地プロジェクトの視察。
カジァドゥから車でマイリティサ(Mailtisa)という町行き、そこで行なわれているイベントの視察を行なう。


※ここで簡単にAPHIAⅡの説明をさせてもらいます。
APHIAⅡ(アフィア・ツー、AIDS, Population and Health Integrated Assistance Ⅱ Project)は、USAID(United States Agency for International Development:アメリカ国際開発局(?)) がドナーとなり、ケニア国内で進められているHIV/AIDSの対策を中心に保健状況の改善を目的としたプロジェクトのことです。
APHIAⅡ Rift Valleyというリフトバレー州を対象にしたプログラムにADEOも参加しており、APHIAⅡのプログラムの一環として主にHIV/AIDSの予防活動を担当しています。
(なお、ADEO以外にもいくつかの団体が関わっており、他の団体はHIV/AIDSの治療分野、マラリアや結核といった感染症、食糧配給などを担当しています)
ADEOの研修生としてリフトバレー州に来ているということで、私もAPHIAⅡのプログラムを中心に研修していくことになります。


マイリティサまではマタツを一度乗り換えて向かう。
最初に乗ったマタツでは、隣に座っているのはマサイ族の老人。
多くのマサイ族がそうするように、木の杖を持ち、赤い布を体に巻いている。
マサイ族の習慣でピアスで耳たぶを引き伸ばしており、彼の耳たぶの穴は指が数本通りそうなまでに広がっている。
カジァドゥにはマサイ族の人が多く、これから向かうマイリティサはマサイ族の町とのこと。

ナイロビではマタツの乗客の制限人数を守っており、制限以上に乗客を乗せているところを見たことはないのだが、こちらではそうではないよう。
一列3人掛けのところに4人を座らせる。
車内に汗のにおいが広がっている。

カジァドゥは田舎なりに大きな町で、いかにも民族衣装といった服装の人はそこまで多くないのだが(といってもナイロビよりは多く、洋服を着ていてもナイロビよりも見劣りするのだが)、途中の小さな町で見かける人はマサイ族の民族衣装を着ている人も多い。
マタツに乗りながら、人々の様子の変化を感じる。
日本では例え田舎に行っても着ている服が東京などと極端に違うことはないのだが、日本から離れいわゆる発展途上国に来ると、首都から少し離れただけで人々の様子が変わっていくのが分かる。


到着したマイリティサはカジァドゥから車で約1時間強の小さな町。
マサイ族のコミュニティで、服装から見るからにマサイ族と分かる人も多い。
遠くに見える小高い山の向こう側はタンザニアらしく、ケニアでもかなり南部に位置する町のようである。


フィールドワークとして、現地でどんなプログラムが行われているのか見て、また、そもそも住民がどんな生活を送っているのか知ってくれとケンに言われる。
イベントの流れを把握していないままながら、視察は始まる。
町の住人を集めての啓発イベントで、私たちが到着したときにはもうすでにイベントが始まっていた。

最初にあったのが、APHIAⅡのスタッフによる寸劇。
スワヒリ語やマサイ語での寸劇のためセリフ自体は分からないのだが、楽しそうな雰囲気で、住民の関心を大いに惹きつけているのがよく分かる。
いくつかのテーマで順番に寸劇が行われており、最初はHIV/AIDSの偏見について。
そのほかにHIVの予防法や伝統医療(呪術医療や薬草)、割礼についての寸劇が行われる。
いずれも重いテーマではあるし、また彼らの伝統に対抗するようなテーマも多いはずなのだが、老若男女、みな楽しそうに劇を楽しんでいる。
彼らが寸劇をどう受け止めているのか気になるところだったが、聞けずじまいに(もっと積極的にならなきゃいけませんね!)。

寸劇のあとは、いくつかの対象ごとに分かれ、レクチャーが行われる。
寸劇のあった広場の隣に学校があり、子供・青年男性・青年女性・高齢者といった風に分かれ、対象ごとに違う教室でそれぞれに向けたレクチャーが行われる。
APHIAⅡはいくつかのステークホルダー(関係団体)がかかわっており、それらのスタッフやピアエデュケーターがレクチャーを行っている。
内容としては寸劇と同じように、HIV/AIDSや割礼について。
こちらもみな真剣に話を聞いている。

英語で私に説明をしてくれたスタッフによると、HIV/AIDSの感染拡大の根源にはHIV/AIDSに対する無知、そして知ろうとしない態度があるという。
ただ、多方面からHIV/AIDS認知向上のプログラムが提供されている彼らは、少なくとも日本の一般人よりはHIV/AIDSに関する知識を有しているような印象を受けるし、HIV/AIDSをより身近な問題として捉えている分だけ、日本の現状よりましなのではないかと思ってしまう。
単に知識不足なのではなく、男性優位な社会、割礼や呪術を始めとした伝統、コンドーム入手の困難さ(現金収入が十分でないために購買能力がない、あるいは放牧の民にとって購入できるような店が多くないといったこと)など、多くの問題が根底にあるのだろう。
決して簡単な問題ではないことを痛感させられる。

男性向けの教室と女性の教室をぱっと見て気づいたのが、女性のほうが伝統衣装で着飾っている人が多いのではないかということ。
家にとどまることを強いられる傾向にある女性だから、伝統的な文化を保つことになったり、家の外に出るハレの日だから着飾っているのだろうか。
単なる私の推測なのですが。
疑問を感じたらすぐに聞くという態度を押し出していかないといけないと、後になって反省する。


レクチャーのあとに、パン2切れと飲み物の支給がある。
さすがUSAIDが関わっているイベントは違うなと感じる。
飲み物はコカ・コーラ社のコークやその他のサイダー。
ケニアの田舎まで販路を広げる巨大企業っぷりには脱帽させられる(ところでサントリーとアサヒはどうなったのでしょうか)。
そして、民族衣装を着たマサイ族がコーラのビンを持つ姿に、何か違和感を感じさせられる。

私は子供のグループでパンを配るのを手伝う。
白人である私が彼らにパンを配ることがどんな影響を与えるのかと考えると、責任の重さも感じる(日本人も非アフリカ人なので、ムズング(白人)と呼ばれる)。
私が財布を開いているわけではないが、私の行為が依存体質を形成する一助になっているのではないか考えると気が重くなる。

2枚ずつ配るのだが、途中で2枚ずつだと子供たち全員に行き渡らないことに気づき、途中の子供から1枚ずつに減らす。
文句を言われるかと思いきや、特にそんな声も上がらず、少し驚く。

パンとコーラは住民がイベントに参加する際のインセンティブになっているのだろうが、その後にすぐ帰ったりする人がたくさんいるわけではなさそうであった。
娯楽の少ない彼らにとって、このイベントも大きな娯楽になっているのだろうか。


そのあと、VCTと書かれたテントでHIVの検査を実際に受けてみる。
VCTとはVoluntary Counseling and Testingの略で、無料でHIVのカウンセリングや検査が受けられるところ。

イベントの参加者は多い割りに検査を受ける人は少なく、順番待ちせずに検査が受けられた。
HIVを持っていることはないだろうと思いつつ、若干緊張しながらテントへ入る。

検査の前に、検査方法や匿名で受けられることなどが、簡単ながらちゃんと説明される。
そして、検査前に質問表を埋めていく。
もちろん質問表は匿名。
ただ後で個人が識別のできるように、パスワードとして母親の名前を記入する。
母親の名前・・・。
どう考えてもマサイの名前ではないが、まあいいか。

検査は血液中の抗体の存在を見るもので、数分で結果の出る迅速検査。
もしそこで陽性反応が出たら、さらに別の検査に進む、というもの。
左手薬指に針を刺し、少量の血液を採取、測定キットに滴下しさらに試液を加え反応を待つ。
針はディスポーザルのものを使用、採決前にアルコール消毒、検査してくれたスタッフもディスポーザルの医療用ゴム手袋を使用するなど、衛生面にも十分に配慮されているのが分かる。
そしてお金をかけていることも。

待ち時間におしゃべり。
今までにHIVの検査をしたことがないと言うと、とても驚かれる。
ちなみに、日本ではHIVの検査を受ける人は1000人に1人しかいないらしい。
人から聞いた数字でリソースは分からないが、日本の現状を考えてみると恐らくそんなものだろう。
自分も検査をしたことがないので人のことは言えないが、保健所で検査を無料で受けられるのだから、他のSTI(性感染症)を含め、日本でも検査がもっと身近なものになればいいのにと思う。
(クラミジアなどの検査ができるかは、保健所によって違うので、事前に確認の必要はありますが)
検査してくれたスタッフはナイロビで研修を受けたといい、検査試薬について質問したらとても的確な答えが返ってきたところを見ても、ちゃんとトレーニングを受けているのが分かる。
そこでコンドームの配布や、模型を使ったコンドーム装着の練習もできるとのこと。
装着の練習はしなかったが、リアルで、そして大きな模型を前に自信喪失。


その後、スポーツ大会があり見学する。
最初は中距離走というかロードレース。
誰でも参加できるようで、気合の入ったスポーツウェアの人からジーパンの人までがいる。
距離やタイムの詳細は分からないが、皆なんとなく早そうな感じを受ける。
リフトバレー州はオリンピック金メダル級の優秀な長距離走者を数多く輩出していることでも知られているので、実際に早い人もいるのではないだろうか。
中距離走で勝ったのは、長身でナイキの陸上用スパッツをはいた選手。
ナイキのスパッツが放牧で得られる現金で購入できる代物ではないことを考えると、陸上の大会の賞品・賞金で得たものなのだろうか…。

そして次は100m競走。
というか約100m競走。
コースもレーンも何もない広場にスタートとゴールのラインを決め、観客が囲むなかを駆け抜けるだけ。
まず女子の部があり、全員一斉にスタート。
次に男子の部。
8人ぐらいずつ組になり、順番にスタート。
途中でスタートラインが変わったり(それも20mくらい!)、順番がすぐに決まらなかったりしつつも、盛り上がりながら進んでいく。

1年近く練習していないなのだが、一応大学で陸上競技部に所属している私も100m走に参加。
マサイのランナーとの対決にわくわくする。
なかなか順番が回ってこなかったが、しばらくすると順番が回ってくる。
ウォーミングアップも何もせず、ジーパンをまくり上げての参加。
グラウンドに棒で書いたスタートラインに並ぶ。

「On your marks, get set…」

「…Go!」

スタートのタイミングに完全に遅れ、最初からかなり離される。

…100mのゴールラインが遠い…。

…体が重い…。

途中で1人抜かせたが結局8人中5位ぐらいだったのではないかと思う。
陸上部の部員としてあまりにも情けない結果。
しかし周りのみんなは喜んでくれたし、何よりもマサイと陸上で対決できたことに大満足。

そのあともスポーツ大会は続き、一度広場から離れた後に戻ったときにも、サッカー大会や女子のやり投げ大会が続いていた。

ちなみにやり投げといっても木の棒を投げるだけで、陸上のやりを使っているわけではなく、また踏み切りラインの代わりに茨の木を置くなど、身近なものでうまいこと代用している。
物質的な援助の功罪については十分配慮する必要はあるものの、プロポーザルでも書いて用器具をそろえたくなるような気持ちになる。
ストップウォッチやハードルに「Donated by Japan」などと書いたりして。
(ちなみに、学校の机などには、携帯電話会社の宣伝よろしく、「Donated by Netherlands」とでかでかと書かれている)


スポーツ大会が続いている間、途中で一旦会場から離れ、近くのカルチャーセンターを見学しに行く。
カルチャーセンターといっても十畳ぐらいの小屋に、マサイの工芸品などが飾ってあるだけのもの。

お土産用に工芸品の販売も行っており、どこまでが展示物でどこまでが販売用なのかよく分からないが、店番のおじさんが丁寧に展示物の説明をしてくれる。
この民芸品の材料はケニア産ではないとか、この人形はよそで作られたとか、この楯はマサイのものではなくて南アフリカのものだとか、これはナイロビのお土産屋で買うといくらだがこっちで買うといくらするかなど、無駄に丁寧に説明してくれる。


しばらくしてから、再びイベントの方へと戻る。


ふと、ここの町の子供たちはお金をねだってくることがないと感じる。
ナイロビ市内ではよく子供がお金をねだりに来るのだが、ナイロビに比べて明らかに見劣りのする服しか着ていない子供でも、ここではそんなことはないのである。
このことを聞いてみると、各国からの援助がこの狭い町の中に入り、孤児になっても孤児院があり、食べ物と教育が最低限行き届いているからではないか、という答えが返ってくる。
狭いコミュニティながらこのイベントの間は私を含め何人かの「白人」がいることを考えると、返ってきた答えになんとなく納得がいく。


スポーツ大会の後、撤収作業が始まる。

アメリカ人の白人の中年女性が、イベント中に出たゴミを1人で拾っている。
田舎ではゴミ処理のシステムがなく、生ゴミであろうとプラスティックであろうと、みんなポイポイとゴミをそこら中に捨てていく。
観光を売りにしているケニアなだけに、非常にもったいないように感じられる。
ただ、どうしても彼女を手伝う気にはなれなかった。
どうしてだろうか…。

ちなみに、彼女の集めたゴミは車に乗せられカジャドゥまで持って帰られることになったのだが、しかし、途中で「邪魔じゃん」といって道中に車の窓から投げ捨てられていた。
もっとも、カジァドゥまで持ち帰られたとしても焼却施設があるわけではなく、道端で適当に焼かれる程度の結果にしかならなかったのだろうが。


イベントは無事終了。

帰りはAPHIAⅡの予算で購入したと思われるTOYOTA Hiluxに便乗させてもらう。
USAIDやAPHIAⅡと書かれたステッカーが貼られており、後ろ半分がオープンな荷台になった車。

どこに乗るのかと思いきや、その荷台に乗せられる。
スピーカーやジェネレーターなどの機材に並んで4人が荷台に乗るのだが、利己主義をして一番安全そうなところに乗る。
が、正直怖い。
道は基本的に舗装されているものの、途中で舗装工事のために本線から外れなければならないところなどがあったりして、途中で激しく車体が揺れるのだが、生きた心地がしなかった。
危機管理という観点からすると、断じて許されない行為だったといえるでしょう。
今後は気をつけます。はい。

また、乾燥した土地なため砂埃がよく舞い上がるのだが、それがハードコンタクトをした目に入ってとても痛い。
帰路に限ったことではなかったのだが、かなりつらい。
ソフトの使い捨てレンズを持ってこなかったことを激しく後悔する。


帰ることには陽が傾きかけており、カジャドゥへの途中で完全にあたりは暗くなる。
街灯やネオンなどなく、夜空にはあふれんばかりの星が瞬いている。

日本ではそうそう見られないような星の数に圧倒される。
…否、高知の室戸岬でもこれぐらいの星が見えたような気も。

南半球にいるため、日本で見られる星座は見当たらず、異国の地に来たことを改めて痛感させられる。
…と思いきや、日本でもおなじみの夏の星座・さそり座が空高くにあることに気づく。