2009年8月29日土曜日

10日ほど前のことから

15日
マジェンゴスラムへ。
マジェンゴはカジャドゥの市内にあるスラムで、そこで活動しているPE(Peer Educator、ピア・エデュケーター)の様子の視察に行く。

いろいろ感じる。

アウトリーチ活動としてスラムを歩いていると、スラムの住人から金をせびられる(直接私に金をくれと言う。PE経由で私に言おうとする。APHIAⅡはなぜ金をくれないのかと言うなど)。
お金のこと以外にも気になることはいろいろ。
よりいい形でのアウトリーチがあるのではないかと考える。

人口の多くがマサイ族のこの町。
仕事もなく道端にたむろする人の中で、酒臭い人も少なからずいる。
酒のにおいを漂わせながらお金をせびられると切なくなる。

ひとつ気づいたのが、写真を撮るという行為が決して簡単ではないのだということ。
PEたちの活動の様子や町の自然な様子をカメラに収めようと思っても、カメラを構えると皆の意識がレンズへと向かい、決してありのままの様子が捉えられない。
私がムズング(白人)ということが影響しているからなのか、カメラワークがまだまだからなのか。


ちなみに、スラムと言っても私たちの住んでいる地区との違いが分からない。
確かに家は小さく粗末でトタンでできていたりするが、その中はきれいに整えられ、家の外にはしっかりと庭もある。
スラムの外にある私たちの家のほうが石造りで大きくはあるが(と言っても10フィート四方だが)、QOLはスラムと変わらないのではないかと思う。

そして、言葉が通じないのはやはりもどかしい。


16日
週末で休みなのでナイロビのケンの家へ。
家族(一族)の経済的な問題を話し合うとのこと。
ケンの家で夕飯をご馳走になった後、ケンの兄弟・従兄弟と近くのバーで話し合い。
4人+私。なぜ私を混ぜてくれたのだろうか?女性は参加していなかったのに。
そして、なぜか真剣トークのときは皆英語。
私がいるからなのか…?

バーの女将さんに気に入られる。
ただ、コニャックドボドボを注がれ、殺されかける。

帰ってからケンの子供の二段ベッドで寝かせてもらう。
蚊がうるさく、マラアリアが怖くて寝付けない。
翌日、蚊帳があることに気づく。

それにしてもケンの家の女性はよく働いている。
奥さん、そして一緒に住んでる親戚の女の人二人。


16日
朝、ケンの子供たちと打ち解ける。
三人兄弟で、上の二人は双子。
日本で祖母からもらった和紙で作った小さな人形、コーラのおまけだったキーホルダーなどをお土産としてあげる。

今まであまり撮っていなかった写真を撮る。すごく喜ばれる。
働いてばかりの女性人二人とも写真撮る。

こっちの男はやっぱり家事をしないのだろうか。

その後、マタツでカジャドゥへ戻る。


17日
午前中はAPHIAⅡのオフィスへ。
初オフィス。

昼前からdistrict hospitalへ。
PEの子供のHIVの精密検査の付き添いと聞いていたが、主な用件は病院に配布用のコンドームをもらいに行くためだったよう。

町の中心からは少し離れており、そこまで歩いていく。
途中の道路で写真を撮る。
この道路がヒトを運びモノを運び、カネを動かし、そしてHIVを運ぶのだろうか。
ちなみに道路は中国のカネで作られたものとのこと。

病院近くのオフィスに無料のコンドームディスペンサーがあるが、明らかにニーズにマッチしていない場所にあるように思われて仕方ない。
ケンたちはそこからもコンドームを持ち出す。
海外からの支援や政府のお金で購入されたこのコンドームを、PEのアウトリーチの際に町の人に配布するのだという。

PEの子供の件は大丈夫だったよう。

用事が済んだ後、そのPE親子、マサイのPEのおばさんに昼飯代をせがまれる。
マサイのおばさんも、今度村に来てくれたら安くマサイの伝統的な生活を案内してくれるという。
何となく萎える。


18日
この日はオフィスでダラダラの日。

APHIAⅡの他の団体のスタッフと、そのスタッフがJICAにプロポーザルを書いているマサイ向けのヤギの話をする。
マサイ族が現金収入を得るために、乳搾り用のヤギを提供して欲しいとのこと。
サステナビリティということを考えると、彼の提案に「でも」と突っ込み続けることに。
現金収入が必要→ヤギが必要→草が必要→水が必要→灌漑が必要→井戸が必要…といった感じで、ヤギを提供したら終わる話ではないし、その先を考えるとどうしても環境にマイナスの影響を与えることにしかならないような気がする。
難しい。
途上国の乾燥地域に暮らす彼らと、先進国から遊びに来たような人間とでは、問題のプライオリティーの置き方にどうしてのギャップが生じてしまう。
難しい。

彼に限らず、ケニアに暮らす人の多くが欧米や日本に求めるのは、金を持ってくることのよう。
スラムに暮らすマサイも、PEたちも、この国の中では優秀だと思われるオフィスのスタッフも、基本的には同じ思考回路な気がしてならない。
まあ、先進国に暮らすものの上から目線のエゴにまみれた評価なのだが。

上述のスタッフは、タンザニアでもマサイ向けにいろいろな活動をしたことがあるとのことで、他の国と日本との比較を聞く。
ある国はお金の使い方にやたらと厳しく、デンマークや日本は腰を据えて技術を定着させてくれ、また、しっかりと現場を見ているとの評価。
また別の国は金は出すが技術の移転はなく、フィールドに出てこないとのこと。
国によって公的援助の様子も全く異なるよう。

そしてその彼曰く、ODAであっても草の根に直接届くものが大切だとのこと。
彼自身マサイ。
政府経由だと(政治の中心を担っているのはキクユ族ということで)マサイは取り残されるし、そもそも政府は腐敗してるから金は回ってこないとのこと。

また、この日は先週にマイリティサに行ったときのことをまとめる。
先週ブログに投稿した分で、文字に起こすのに時間がかかっていたので。

オフィスを後にし、前にケンが洗濯を洗濯屋に頼んでいたのだが、それを受け取る。
洗濯屋だと思っていたら、洗濯してくれていたのはPEの1人。
スタッフと金銭のやり取りが生じることに、どうしてもいい気分になれない。
双方向ならいいが、片道のお金の流れ。
PEからさえも、私(プラス、ケンもか)が金を落としていくいい客だという認識を確実に持たれていることに悲しくなる。


19日
ブログの更新をする(前回の更新)。
長々とパソコンに向かっていたら、APHIAⅡのミーティングに遅刻する。
APHIAⅡのお偉方が集まったミーティングは、皆すらすらと英語をしゃべるものの、まったく付いていけず。
リスニング力+ボキャブラリーに問題があることが分かる。
かなりへこむ。

午後はPE達とマジェンゴ・スラムへ。
伝統酒の蒸留所で子供たちに囲まれる。
なぜ子供がたくさんいたのかはよく分からず。
皆かわいい。そして英語がきれい。
ここの子供にはお金をせびられないから気が楽。
ただ、カメラの扱いが雑だから常にひやひや。

そこへ行く前、近くの丘で写真を撮る。
ビニール袋が一面に飛び散っている。
乾燥した殺伐とした感じと、ビニール袋の鮮やかさに惹かれてカメラを構える。
周りのみんなには、「眺めもよく、乾燥してる雰囲気がよく分かるから」と嘘をつきながら写真を撮る。
彼らがファインダーに写して欲しいと思うものと、私の撮りたいものとにギャップあり。

その後、水浴び用の水を温めるヒーターを買う(今までは冷水で水浴びをしていたのです)。
その店においてある中国製品にJapan Qualityと書いてあり、イラっとくる。
家に帰ってヒーターを使おうと思ったら故障していて使えず。
ちなみに、そのヒーターにもイギリスなんとかって書いてあった気がする(返品して交換してもらったのでよく覚えていないが)。
ケニアに来て感じるのは、ケニア人の日本製品への信頼が、日本という国への信頼に結びついているということ。
それなだけに粗悪な中国製品(こちらの品物の粗悪度は、日本では想像できないほどに粗悪なのですが)に「日本」や「Japan」の文字を見ると腹が立つ。


20日
ピア・エデュケーターの視察のために、この日はナマンガ(Namanga)へ。
ケニアとタンザニアの国境の町。
国境を越えられるからとパスポートを持つようにとケンに言われる。
お金は要らないのか心配になるが、いらないとのこと。

カジャドゥからはマタツで1時間強。
最近の疲れがたまっており、マタツは座り心地がとても悪いが、それでもウトウトする。
一列3人の席に4人が座っている。

ナマンガについてからはテンションが上がる。
カジャドゥと違い、緑が多い。
それだけで気持ちが明るくなる。
そして、国境の街なだけに活気を感じる(この活気がHIV/AIDSを呼び寄せているわけだが)。

ケニアの入管の写真を撮る。
と思ったらマサイのおばあさんに200シルで写真を撮ってくれと言われる。
手をつかみ、激しく。
マサイ族の人たちは観光客相手に写真のモデルになることでお金を稼いでいるのだ。
断るのに苦労する。
国境の街、多くの観光客もここを通るだけに、観光客に支えられた生活・経済があるのだと知る。

ナイロビやカジャドゥだと、町を歩いていると「チャイニーズ」と道端にいる人に言われるが、こちらでは「ニホンジン」あるいは「コンニチハ」と声がかかる。
東アジアから観光に来るのは日本人が多いのだということを、ここの住人はちゃんと知っているのだろう。
実際、日本人らしき人を一人見かける。
マイリティサにいたスタッフのアメリカ人のおばちゃんも見かける。

道端でマサイのサンダルの露天があり1足欲しかったが、一番フィットするやつが若干壊れてて買うのをやめる。
ただ、品揃え、というかサイズが豊富で形も若干違うものが多くあるので、ぜひまた来ようと思う。
マサイのサンダルというのは、動物の革(具体的には何の革かちょっと忘れたが)で作ったサンダル。
というのは過去の話で、今は廃タイヤから作られたもの。
履き心地がよさそう。

PE、ピア・エデュケーターの視察ということで、PEの何人かが働いているサロンへ行く。
話を聞くというかスワヒリを教えてもらう。

私自身は特に仕事らしいことは何もせず。
ただ、カジャドゥのPEよりも自分たちのほうがアクティブだとPEの1人が主張しているのは耳に入り、その点は気になった。

PEの1人は自分を日本に連れて行ってくれと何度も言う。
自分が日本人だからそう言うのであって、1人の人間として魅力を感じるからそう言うのではないのではないかと聞いても、そうではないとの返事。
これをモテルと言うのか分からないが、卒業してからもこんな感じになる可能性があるのかと思うと、本当に嫌になる。

飯をおごってくれと言われ、飯を食いに。
国境を超え、タンザニアに食べに行く。
と言いたいところだが、結局昼飯を食べたのはケニア。

ただ昼飯の前にタンザニアに行く。
国境はあまりにも無防備。
と言うか、2メートルぐらいの高さのブロックが縦に列をなして並んでいるものの、壁になっているのではなく、モアイ像みたいに間を空けて並んでいるだけなので、その間ががら空きで数人並んで通れるくらいの感じ。
越境に若干テンション上がる。

国境を越えても観光客慣れしていることを感じる。

USAIDのVCTテントをタンザニア側でも見かける。

ケニア側に戻り、昼飯を食べる。
自分がおごることになっており、なんとも言えない嫌な気分。

この後カジャドゥへ帰るのかと思いきや、飲み屋へ。
飲み屋のテレビで世界陸上をやっている。それも十種競技!
かなり気になるが、テレビの見られない屋外で飲む。
正直ここにいるよりも世界陸上を見ていたいと思ってしまう。

ちなみにこの日の世界陸上は、ボルトが200で世界新を出し、ブラシッチがハイジャンで優勝し、高知で出会ったことのあるポーランドの円盤の選手が銀メダルで、その表彰式があったりと、テンションの上がる日でした。
ただ、十種にブライアン・クレイが出ておらず、ロマン・シェブルレが不振だったのは残念でした。
でも日本人として池田が十種に出ていたからいいことにしましょう。


21日
ナマンガから帰り、ブランチを取った後オフィスへ。
他のAPHIAⅡのメンバーは皆会議などでオフィスにおらず。

仕事はファイルの整理。
さすがアフリカ、名前順に並べるべきものがそうなっておらず、ひたすら並べ替えの作業をする。
ケンもファイルの整理をするのだが、名前をアルファベット順にしていない。
全部自分でやりたくなる。
それじゃだめなのだと思いながら。

オフィスへの行き帰り、道端で出会う子供たちが心を癒してくれる。
カジャドゥに来てから、目線の会う人や子供には基本的に皆に挨拶をするのだが、結果、オフィスまでの道端の子供はみな私のことを覚えてくれているらしく、元気よく挨拶してくれる。
1・2歳の子も、ひたすら「How are you?」と「Fine!」を繰り返して叫び続けてくれる。
すごくかわいい。
気疲れすることも多いが、子供たちに声をかけられると心がほぐれるのが分かる。

夕食時、PEにおごらなければならないことに文句を言う。
「日本人→金を持っている→ケニア人におごったり恵んだりすべきだ」とい図式に嫌気が差し、ここ何日か主張していることだか、自分は学生で奨学金で借金がたくさんあることも主張。
ケンは、PEのモチベーションを保つためにはおごることが必要だと言われる。
ケンの話がいつのまにかだんだん反れ、彼自身の愚痴になり、活動のための交通費などをナイロビのオフィスが出してくれないことへの文句に変わる。
彼の給料や勤務に関する契約を把握しているわけではないのでなんとも言い難い。


ここ何日か、精神的にとても疲れを感じる。
スラムの酔っ払いに始まり、PE、そしてAPHIAⅡのスタッフであっても、日本人はここで金を落とすべき存在、あるいは金を日本から引っ張ってくるべき存在だという見方で捉えていると強く感じる。
なんとも言えぬやり切れない気持ちになる。

あるいは、言葉が思うように通じず、そのことも精神的に負担になっているのだろうか。

そして、ケニアに来てから2週間以上が経つが、相変わらず一向に言葉が上達している様子が感じられない。
ナイロビでの大学生の間での暮らしと比べ、周りで飛び交う言葉が圧倒的にスワヒリ語(そしてマサイ語も)が多くなり、完全に周りが何を言っているのかわからない状態が続き、そんな状況に不感症になっている気も、同時にする。

何も考えずにケニアに暮らしているだけで、英語もスワヒリ語も喋れるようになるよとケンは言い、「sorry?」と「What?」を繰り返す私に飽き飽きしているよう。
もっとスムーズにコミュニケーションを図りたいし、そのためにも英語もスワヒリ語も上達させたいが、思うようにはいかないのが現実のよう。


ケニアまでの飛行機で一緒させてもらったT野君が語ってくれた、「研修を通してのインプットとアウトプット」という言葉が重くのしかかる。
個人的に研修を通して貴重な経験を積み、将来に活かせるようなものを得るのがインプットだとしたら、研修の中で研修先の団体なり現地なりにプラスの影響を与えることがアウトプットになる。
研修をよりよいものにするためには、サステナビリティということを念頭に置いた上で、インプットとアウトプットのバランスを考えながら研修を行うべきなのだという。
私の場合は半年の研修のため、最初の2・3ヶ月は焦らずに現地になれることを優先し、それから自分なりにできることを探していこうと考えていたのだが、この20日の調子を見ていると、アウトプットはもちろん、インプットすらできるのかあやしくなってくる。
今後、どうなるのでしょうか。