2009年9月10日木曜日

アイセッカー来たる







8月30日。
日曜日。

日本のアイセックのメンバーがケニアとウガンダにスタディーツアーに来ており、この日、ナイロビから私のところへ激励(視察?見学?) に来てくれる。


カジャドゥに到着するのが11時過ぎになりそうだったので、彼らが到着するまでの間、1人でカジャドゥのカトリック教会へ行く。
「地球の歩き方」曰くケニア人の3割がカトリックらしく、ケニアのカトリックについて知ることがケニアを理解することにもつながるかと思ったのが、教会に行ったひとつ目の理由。
そして、実は私自身がカ○リックだからというのがふたつ目の理由。
日本では年に数回しかミサに行かないような(そのうちの一回がクリスマスなのだが)、カトリックの風上にも置けないような私。
だが、カトリック教徒ということがケニア人と私との数少ない共通項であり、相手がカトリックだった場合とても歓迎されることを知っていたので、信仰からというよりも、むしろコミュニティに溶け込むためという不純な動機で教会へ。

海外の教会に行って驚かされるのは、その明るい雰囲気。
聖歌を歌う際にはパーカッションが鳴り響き、黄色か赤のおそろいのシャツを着た子供たちが聖堂の中を列を成して踊りながら行進するのである。
さながらお祭りのような雰囲気。
普段の生活の中に踊り・ダンスがあるケニア。
それがディスコでの、彼らのあの滑らかな腰の動きにつながっているのだろう。

私の行った時間はスワヒリ語でのミサだったため話の内容は全く分からなかったが、日本とは違ったミサの雰囲気を味わい、教会をあとにする。


そして、カジャドゥに到着したアイセッカーと合流。
日本の実家にいたとき以来の再会。
決して長い間出会っていなかったわけではないが、とてもうれしくなる。

お昼時だったので、まずはホテル(こっちでは食堂のことをホテルと呼ぶ)で昼ご飯を食べる。
注文してからなかなか料理が出てこず、私ですらケニア人のPole Pole(ぽれぽれ、Slowlyの意)具合にしびれを切らしたが、ケニアに来て間もない他の日本人には酷だったかもしれない。
恐らく1時間以上待った後、料理が出てくる。
骨ばかりの肉料理であまりほめられたもてなしはできなかったが、みな手で食べるのはケニアに来てから初めてだったようで、料理の遅さといい、変なところでケニアらしさを味わってもらうことになる。

食事のあとは町の案内。
本当はオフィスでの研修などを見せられたらよかったのだろうが、日曜日だったのでそれはできず、さらにオフィスの鍵がなく、オフィスの中を見てもらうことすらできず。
また、平日には店も開き近くの村からマサイ族の人たちが買出しやその他の用事で市内に来るので、にぎやかな町の様子やマサイ族の伝統衣装を見てもらうこともできるのだが、今日はそれもできず。
観光地でもなんでもない田舎町のカジャドゥなので、どこを見てもらえばいいか迷うが、ピア・エデュケーターの知り合いにお願いし、市内のスラムに連れて行ってもらう(写真2)。
日本から来たアイセッカーのみんなの目にはスラムの様子はどう映ったのだろうか。
そして、スラムに住む人たちにとっては、アジアから来た白人の私たちの様子はどう映ったのだろうか。

スラム内の案内のあと、ケンと私の家を見に来てもらう(写真3)。
カジャドゥでは他に見せる場所もなかったし、ナイロビで研修する他の研修生とは一味違った生活をしていることを知ってもらえるかと思ったので。
ナイロビにいる研修生はケニアの大学生の家にホームステイしているケースが多いようだが、子供を大学に行かせているナイロビの家庭と、私の暮らしているような田舎町の家では、家の雰囲気も違ったのではないだろうか。


一同、ナイロビに遅くならないうちに帰る必要があるので、5時過ぎにお別れ。
昼ご飯を待つのに時間を取られ、大した案内もできなかった一日。
スタディーツアーでは、私のほかにもアイセックを通して研修に来ている日本人のところに訪問に行っているそうなのだが、10日ほどの短い滞在期間の中で、わざわざ一日時間を割いてこんな田舎まで来てくれたことに謝謝。