2010年1月18日月曜日

最近のニュース

Busia District Hospitalに見学実習に行くこともできず、かといってADEOのプロジェクト再開を目にすることもなくブシアでの最終週が終わる。うーん、これが噂に聞くPole poleなのか。ケニアの時間感覚には慣れたつもりだったが、まだまだ甘かったようである。

さて、最近のニュースについて。

暴動
金曜日、ナイロビで暴動があった模様。普段はテレビを見る機会はあまりなく、ブシアに来てからは新聞もあまり読むことはなかったのだが、この日は私の送別会ということで飲み屋におり、そこのテレビでたまたまニュースを目にする。最初そのスワヒリ語のニュースを目にしたとき、アフリカのどこか別の国の暴動かと思っていたのだが(実際、日本と比べてケニアにいるとアフリカ内のニュースがよく流れているのだ)、その街がナイロビであることに気付く。そのニュースの流れている間、今まで賑やかだった店内がテレビに釘付けになる。
もちろん私はアナウンサーの言葉を理解することはできないのだが、話によるとイスラムの宗教指導者がケニアで逮捕され、それが契機となりイスラム教徒の若者と警察が衝突したということであった。2007年末の選挙後の暴動の話を聞くことはあっても、平穏なナイロビしか知らなかったので驚く。また、送別会のメンバーの一人、ハビブはムスリムのため一人だけお酒を飲んでおらず、そのことでちょうどイスラムや宗教の話をした後だった。
暴動のニュースが終わり、先週末から始まったサッカーのアフリカ杯など他の話題にニュースが移ると、店内は先程まで何もなかったような賑やかさに戻る。
翌朝のブシアの町も、今までと変わらない平穏な様子。新聞を買うのだが、1面と、もう他の1面に記事が載っているのだが、思っていたよりも扱いが小さいようにも感じる。

記事を読みながら、年末にあったYouth向けのイベントの後、ハビブが語ってくれた言葉を思い出す。曰く、歌や演劇、ダンスのコンペをするとみんなその練習に没頭し、悪さをするエネルギーもなくなるだろ。だからこういったイベントを開催することに意味があるんだ、と彼は語ってくれた。
一方のナイロビの暴動を思う。イスラム宗教指導者の逮捕が原因ではあるが、暴徒と化した若者のうち、ケニア国籍でもないその指導者、アメリカが言うところのテロリストに対して、確固たる主義主張を持って抗議しようとした者はどれほどいたのだろうかと思う。実際、ケニア第2の都市、ムスリムの多い沿岸部のモンバサでは、ナイロビのような暴動は起きなかったという。警察の対処の仕方にも問題があったというが、何よりも根底には、行き場のないエネルギーと鬱憤の溜まった若者の存在があるのではないだろうか。仕事もなく、自身が体を動かしエネルギーを発散させられるようなスポーツもなく、一方できれいな身なりの裕福な人たちが行き交うのを目にしながら生きる毎日。きっかけ自体に大きな意味はないのではないかと思う。
東アフリカの中では比較的落ち着いた大国ながら、何とも不安定な国なのだろうか。


日食
金曜日、ケニアで日食があった、らしい。
後になって、空がやたらと暗かったことの理由を知る。
ほぼ皆既日食だった、らしい。
うわー、すごく惜しい。
オフィスの鍵が開かず、近くの食堂にいたときだったのではないかと思う。
マルセラがチャパティとハーブティーをご馳走してくれていたときだったのだろうか。
上にも書いた通り、最近はニュースをこまめにチェックすることもなかったので見逃してしまったのだろうか。
ただ、日食の翌日の新聞にも、カラー写真とたった1行の説明しか記事がなかったので、昨年の日本のような取り上げられ方はされていなかったのだろう。
うわー、すごく惜しい。


ハイチ

ハイチで地震があったそうですね。
日本人の中で、地球儀の中でハイチの位置を知っていた人はどれほどいたのでしょうか。
個人的には、医学部への進学を考えた最初のきっかけが、ハイチの支援を行っている医師の方との出会いであり、昨年春の時点でTOEFL・TOEICのスコアがAIESECの基準に届かなかったらハイチに行くこともわずかながら頭の中にあったので、複雑な思い。