2010年1月15日金曜日

最後の患者さん

Nambale Health Centreでの最終日、私が診察室で見た最後の患者さんは、午後診の途中で「自分の順番はまだか」と聞いてきた人だった。医師チェボンがまだだと待合室に帰したのだが、その後、彼の順番は最後から3番目程のところで周ってくる。ただ、彼は検査に時間がかかりそうだからという理由で、最後に改めて診ることになる。
彼の後にいた何人かの患者さんにマラリアの診断が下され、薬が処方された後、彼は再び診察室に呼ばれる。診察室に入ってきたのは30半ばの、しかし歳よりも老けて見える男性だった。シャツの胸の辺りが白く汚れており、みすぼらしい感じのする患者さんだった。そんな彼の抱えている問題はといえば、胸の辺りの皮膚がただれているということだった。チェボンの指示でシャツを脱ぐ彼の胸を見て驚く。体の右半分にのみ、胸の中央から背中の中央へ向けひとすじの帯状に皮膚がただれているのだ。シャツのしみはこのただれた皮膚のためだったのか。そしてその皮膚のただれは、素人目にも帯状疱疹と呼ばれるものだと分かった。また、教科書の写真に載っているようなものよりもかなり程度のひどいものだった。さらにいえば、そこまで帯状疱疹が進行するのには、免疫の働きの一部が低下していることが疑われた。この国の状況を考えればHIV/AIDSの感染が疑われることは当然だった。
すぐに彼はHIVの検査をすることになる。VCTのようにカウンセリングがあるわけでもなく、いきなりの検査。指の先に針を刺し少量の血を採り、簡易検査キットの上へとたらす。血の量が少なかったからか、コントロールの反応が不明瞭で、この検査は有効か無効かと、チェボンとウェレが話している。話を理解しているのか分からないが、始終うつむいたままの患者さん。そして、コントロールの反応ははっきりしないままであったが、HIVの反応自体ははっきりと陽性を示していた。
この簡易検査は本当は陰性でも陽性反応を示すことがあるので、もう1つの精度の高い簡易検査キットでの検査へと進む。
検査結果が出るまでのしばらくの間、彼は検査室の外で遊んでいた彼の子供たちを呼び寄せる。7歳くらいと2歳くらいだろうか、かわいい盛りの兄弟。この診察室でよく見かけるマラリアの子供たちと違い、元気で無邪気で笑顔を見せる彼ら。自分たちの父親が今検査していることの意味をつかめていないのだろう。隣のうつむき加減の彼らの父親の姿とのギャップが何とも物悲しい。しかし、今こうして笑顔を振りまいている子供たちのステータスも気になるところではある。
何分かして検査結果が明らかになる。チェボンが、じゃあこの結果を説明してみて、と私に言う。そんな振りしないでくれよと思いながらもそれに答える。結果はもちろん陽性。結果が目に見えていても、それを改めて言葉にするのは何とも言えない気分にさせられる。ただ不誠実ながら、彼もある程度結果を分かっているのかなと考えるとこちらの気は楽であったし、HIV感染者がそこまで珍しくないここケニアなので、結果を口にしやすいなと思ってしまう。だがやはり結果を宣告される者にとっては想像もつかないほどの重苦しい意味を持つのだろう。
チェボンが改めてスワヒリ語で結果を説明する。くわえて、この政府立の診療所に併設されている、HIV/AIDSの患者さんを専門に診療しているAMPATHの診療所で今後フォローしていくことなどが説明される。早く家に帰りたい時間なので、あっさりと、ごく簡単に。そして、相変わらずうつむき加減で、何を考えているのか分かりかねる表情でチェボンの話を聞く患者さん。そんな彼が、Nambale Health Centreで私が見た最後の患者さんだった。
実はこの診療所でHIV感染の診断がつくのは、私が見た中ではこれが初めてのケースであった。ここまでHIV/AIDSが多くの場で語られ、VCTも整った場で、こうして症状の発現後に感染の診断が下されるというケースを見ることになった。これは、ケニアといえども決して一般の人のHIV/AIDSへの関心が高くないということを示しているのだろうか。それとも、感染の可能性が少しでもあると知りながら、病気や死への恐れから逆にVCTや医療施設への足が遠のいてしまったということなのだろうか。
このヘルス・センターに来てから、一番最初の患者さんはマラリアの少年、2人目の患者さんは近頃(と言っても20週以上)月経が来ておらず、妊娠検査をしたら陽性反応という患者さんだった。最初の患者さん、最後の患者さんとも、何ともケニアを象徴するような患者さんたちであった。