2010年1月15日金曜日

ケニアで献血

今週からBusia District Hospitalで見学実習をさせてもらう予定だったが、行けずじまいのまま今週が終わろうとしている。ブルーノが病院の担当者のところに連れて行ってくれることになっているのだが、ブルーノ曰くその担当者がいつもいないらしく、なので病院に連れて行けないとのこと。以前にその担当者から見学実習の許可をもらっているので、また改めて彼の許可をもらいにいくというのはよく分からないのだが、今週は仕方なくまたオフィスで過ごす毎日。このままではBusia District Hospitalで見学実習ができなくなりそうなので、献血だけでもできないかと思い、Busia District Hospitalまで連れて行ってもらう。
高校生の頃、私は自分の血液型を知らず、献血をしたら血液型が分かると聞き献血に行って以来、日本にいたときはよく献血に行っていた。ケニアに来てからもナイロビでキムと一緒に歩いているときに、街頭で献血のキャンペーンをやっているのを見たことがあったのだが、そのときは残念ながら時間がなく献血することはできなかった。献血好きな私としてはケニアで献血ができたらいい思い出になるかと考え、いつか献血ができたらという思いが頭の隅にあったのだ。それが今回、暇だからという理由で実現する。
ADEOのワイク、ADEOの隣のオフィスで働いているケンと昼ごはんに豚を食べに外に行き、その帰りにDistrict Hospitalに向かう。まずは病院の受付で献血はどこでできるのか尋ねる。と、私は覚えていなかったのだが、受付に座っているスタッフは以前にNambaleで挨拶をしたことがあるようで、私が誰か分かっているので親切に説明してくれる。献血は検査部で受け付けているとのこと。検査部へ向かう。以前に来たときはそんなに人は並んでいなかったのだが、この日はかなりの人が検査部の前に並んでいる。やっぱり今日は諦めて後日来ようかとも思ったが、ワイクが並んでいる人を抜かして検査部の受付の人に話をしてくれる。検査部で受付をしていたのはここの部長さんで、Nambaleのウェレと以前に救急車で患者さんを運んだときに出合ったことのある人であった。彼が私のことを知っているからか、それともムズングだからか、あるいは献血のために来たからか、列に並ぶことなく献血をさせてもらえることになる。並んでいる人たちごめんなさい。
案内されたのは、普段は一般の検査を行っている小さな部屋。程なくして他の患者さんの検査を終えた女性が私のところへ来る。まず簡単に採血のための質問がある。壁に質問票が貼ってあったが、それを使用するでもなく口頭での質問。以前にHIVの検査をしたのはいつかとか、簡単な質問がいくつか。日本の質問票に比べるとかなり大雑把なものだった。そして、採血後の血液の扱いについて説明がある。HIVや梅毒といった病原体の検査を行うのだが、そのためにキスムに送るとのこと。そしてまた病院に戻って使用されるまでには1週間ほどかかるとのこと。HIVの検査にはELIZAというウイルス自体を検出する方法が行われており、これはウイルスに対する抗体を検出するVCTなどで行われている簡易迅速検査よりも大幅に正確なもの。これだけHIVの蔓延しているケニアながら、カカメガなどのウェスターン州内で精密検査ができず、わざわざ隣の州であるニャンザ州のキスムまで運ばなければいけないというのは驚きであった。
私は日本で成分献血というのによく行っているということ、その成分献血とはどんなものなのか説明する。ただ、彼女には成分献血がどんなものか十分に理解してもらえていなかったように思う。私の英語力にも大いに問題があるのだろうが、成分献血の機械のような高価な医療機器など滅多に目にすることのないであろう彼女は、なかなかイメージが付かないのだろうか。そして、高知の献血センター内にある機器類の値段の方が、この病院内にある機器類の合計よりも高いんだろうなとも思う。成分献血の機械とか、見た目は新しそうなものを更に新型のものに取り替えていたし、献血センター内で血球算定ができるんだもんな。
さて、普通の患者さんとは交わすことのないであろうそんな悠長な会話の後、採血が始まる。これがケニアに来て間もない頃だったらいろいろなことに驚くのかもしれないが、今となっては特に驚くこともない。ただ、針を刺す前の皮膚の消毒の適当さにはやっぱりあきれる。Nambaleの時間外診療のとき、消毒用の脱脂綿がないので乾いた脱脂綿で皮膚を拭き、それで筋肉注射をしていたが、消毒液が含まれているだけましなのだろうか。ただ、日本では針を刺した後に最初に流れ出る血液は輸血用に回さずに検査用に使用しているのに対し、ケニアではその血液も輸血に使用されるので、皮膚消毒の適当さはやっぱりいただけないと思う。この皮膚の消毒に限らず、ケニアでは医療者の中での感染症に対する標準的な予防策がお粗末なように思う。私が今まで見た中では、まともなのは、お金も出ておりスタッフの講習が整備されているVCTセンターぐらいなように思う。ないない尽くしのケニアだから仕方ないことの様にも思うが、本来なら予防可能な感染症のために医療費が費やされているとしたら、やっぱり改善されるべきだとも思う。あー、でも病気にかかったところで日本の様に濃厚な治療が提供されるわけではないから、治療費を高騰させる原因とはなりえないのだろうか。医療経済学ではこんなことも研究するのでしょうか。いや、必用のない苦しみを味わうことのないようにするという視点でものごとを考えるべきなのか。そんなことを考える。
また、床に置かれた採血バッグとそこへ流れていく血を見ていると、ふと以前に読んだことのある本の一場面を思い出す。紛争中もチェチェンにとどまり負傷者の治療に専念したチェチェン人の医師。そんな彼の書いた手記の中で、彼が自ら献血をしている場面が描かれていた。陣痛に苦しむ妊婦さんを前に一人オロオロする私とは違いますな。今以上に考えの若かった私は、それを読んで大いにしびれ、そして献血好きになったものだった。
そんなことを考えているうち、採血バッグは私の血でいっぱいになる。献血終了。
ちなみにケニアでもRed Crossで献血をしたらソーダやお菓子がもらえるそうだが、院内での献血だったため今回はそれはなし。残念。せこいぜオサム。
そんなケニアでの献血。