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2009年10月25日日曜日

HIVと私

・前置き
最近の投稿の内容が、ケニアでの研修日記、ではなく、ケニア滞在日記になっている気がします。
昨日(23日金曜日)もケンはカジャドゥにおらず、唯一した仕事らしい仕事は、PEにコンドームを渡したぐらい。
ケンの指示なくスラムにもあまりフラフラ行くなという言葉を最近頂いたので、本を読んで一日を過ごしました。
この半ばmasturbationのような内容のブログですが、そんなmasturbationの記録の一番熱心な読者が、間違いなくFatherであることを考えると、さらに気が重くなります。
さて、そんなブログですが、今回はタイトルのように「HIVと私」という内容で話をさせてもらいます。
学校の宿題のようなセンスのないタイトルですね。
以下、3本立てになっています。


・ADEOでHIV/AIDSに関わるということ
1年を休学しケニアに本部のあるNGOで研修をし、HIV/AIDSに関わる活動をしているわけだが、アフリカやケニアに以前から特別な思い入れがあったのかというと、申し訳ないのだが、特にそんなものがあったわけではない。
また、HIV/AIDSについても然りである。
ADEOでの研修を選択した一番大きな理由は、以前の研修生に対する憧れだったのではないかと思う。
大学1年の夏、持ち前の協調性のなさでいまだにクラスや医学部の部活に溶け込みかねていた頃、実家に帰省した際、兄に連れられて顔を出させてもらったのがアデオ・ジャパン(ADEOの日本支部)のミーティングや飲み会であった。
アデオ・ジャパンとして国内で展開している活動の話、アフリカ帰りの研修生の刺激的な体験談。
切れのあるミーティング、有能で活動的なメンバー達の横顔。
彼らがとても輝いて見えたし、自分にはないもの、今の自分の周りはないものがそこにはあるような気がした。
自分の学生生活も、彼らのそれに少しでも近づけるようなものにしたいものだと思ったりした。
が、それから結局、部活とバイトで1週間が終わるような、高知でのまったりとした学生生活を自ら選択することになる。
しかしそれでも、1年の夏に見た光景を忘れることができないでいたのも事実であった。
また、目をつむっていても進んでいく学年と、テスト前の一夜漬けの繰り返しで近づいてくる「医師」という文字にも焦りを感じていた。
そんな、ないものねだりの羨望と焦燥感からクラスを飛び出し、日本を飛び出し、何も考えずにひとまずたどり着いたのがここケニアであり、そこで出会ったのが単にHIV/AIDSだけだったのだと思う。

休学届のための保護者のサインと、1年間の軍資金のため、ありもしない脳みそで私なりにひねり出したもっともらしい理由を両親には並び立ててみたりはしたが、誰よりも両親が気づいていたように、休学する意味やアフリカで研修する意味、HIV/AIDSに関わる意味を、私は何も考えてはいなかったのだと思う。


・人の弱さとHIV/AIDS
説得力のあるようなことは何も考えられずにいた私。
ただ、HIV/AIDSに関わらせてもらっていることは、私にとってとてもいい経験になっていると思う。

少し話がそれるが、数年前の話をさせてもらいたいと思う。

病院実習をしている5年生の先輩何人からか、私を含め下級生がその実習の様子を聞いているときのことだった。
学年の中でも特に優秀だったある先輩が、こんな様なことを言っていた。
2型(つまり主に生活習慣による)糖尿病の患者さんを担当しているのだが、そもそも自分のせいで病気になった患者さんのうえ、入院までしているのに生活態度を改めようとしない。
そんな人に医療を施すのはナンセンスだと思うし、医師になったらそんな患者さんは相手にしたくない。
おそらくそんな旨だったと思う。
つまり、自分の手で自分の健康を害しているような人の相手はしたくないと。
その後、その先輩は有名病院に就職し、そこでもバリバリやっているという評判を耳にしている。

医師が医師たるには、まず知識と技術があってこそであり、人間性が医師を医師にしているのではないだろう。
そんな意味では、その先輩は医師の鑑だと思う。
だが少なくとも、その先輩はHIV/AIDSに関わるのには向いていないだろうとも思う。

というのも、HIV/AIDSは人の弱さにつけこむような形で感染し、発症するのだから。
無防備な性行為や注射針の回し打ちでHIVに感染し、検査や服薬を怠ることによってAIDSを発症するのだから。
HIV感染・AIDS発症には大いに自己責任という言葉が当てはまるであろうし、自分で自分の健康を害しているという表現も間違えではないだろう(※)。
そんなわけで、その先輩の求める患者さん像の範疇にHIV/AIDSは含まれないだろう。

(※)ただし血液製剤による感染や母子感染、望まない性行為、中国などで問題になっている売血による感染を除く。
しかし「望まない性行為」って何だ。
最初はレイプを想定して書いたのだが、途上国などでの絶対的な貧困状況の中で、他に生きる道の選択肢のない中で体を売ることで糊口をしのいでいる場合はどう捉えたらいいのだろうか。
あるいは、女性の社会的地位の低さとpolygamyの中で、自分を守るすべを取る権利もないまま夫から感染する女性とか。
実際、「私にとってコンドームに触れることは罪だ」って言っているムスリムの既婚女性もいるし。
というか日本の男だって程度の差こそあれ勝手だし。
ということで、上記の主張は、同等の権利を有するカップル間の性行為における感染、および自己の意思による薬物濫用による感染という、かなり限定的な状況の下でのみのものだと思ってください。

ただ、私自身としては、そんな人の弱さを相手にするような保健・医療も楽しそうかなと今は考えている。
もともと、高校の頃に医学部への進学を考えていた頃、私にとって身近な医師というのが、アルコール依存症や薬物依存症を抱える患者さんがよく通っていた診療所の医師であった。
自分の弱さに負けて自ら病を招いたような患者さんを相手に、諦めることなく見捨てることなく付き合っていくその診療所のスタッフたち。
そんな彼らが相手にしていた依存症という病気と、HIV/AIDSはどこか似たところがあるようにも思う。
予防することも可能な病気、自分で招いた病気、一生付き合っていかなければいけない病気、などなど。
もちろん違うところもたくさんあるが、人の弱さを見つめながら付き合っていかなければいけないという点では、どちらも同じであろう。

今の研修内容としては予防・啓発がメインになっており、治療分野は他の団体の守備範囲になっているため、あまり病気そのものと向き合う機会は少ないが、それでもこうやってHIV/AIDSに関われてよかったと思う。


・日本で見たHIV/AIDS診療
日本でもHIV/AIDSは広がっているというが、それでもまだ身近な病気としては捉えられてはいないだろう。
インフルエンザなどと違って、知り合いの誰それがHIVポジティブらしいなどという話は、日常生活ではあまり耳にしないのではないだろうか(それは単に感染率が低いということではなく、社会に対してカミング・アウトすることが困難であることも意味しているのだが)。
幸いというか、私自身はHIVポジティブの人がリソース・パーソンを勤めているワークショップに何度か参加したことがあったり、大学の関係でポジティブの人の話を聞かせてもらったりしたことがある。
なので、HIV/AIDSという言葉を聞いたときにも、具体的に今まで出合ったポジティブの人たちの顔が浮かんできたりする。
そして、私が日本で触れたHIVの現場として一番印象に残っているのが、以前にある病院に見学に行き、そこでお邪魔させてもらったHIV診療であった。
診察室の中という特殊な環境であったが、そこで私が見たものは、日本のHIV/AIDSの現状をよく表していたのではないかと思う。
そのときに個人的にメモしていた原稿があるので、ケニアでの研修とは特に関係ないが、ここでそれを紹介させてもらいたいと思う。

なお、その病院は長野県にある病院で、HIV診療の拠点病院に指定されている病院だった。
この長野県であるが、人口比で東京・大阪に次いでHIVの感染率が高く、異性間の性行為による感染の比率が東京・大阪に比して有意に高いという特徴のある県なのである。
その背景として、長野オリンピック前に海外から労働者が連れてこられ、彼らと共にCSWが長野県に入ってきたことが指摘されている。
その病院で、通称HIV外来と呼ばれている外来診療に私は参加させてもらったのだった。
もちろん対外的にHIV外来などと名乗っているわけではなく、HIVの患者さんを診療していると分からなくし、患者さんのプライバシーを守るため、一般の外来患者さんと共にHIV患者さんを診療しているのだった。

以下、そのときのメモを若干手直ししたものを転載させてもらう。


東京などの都市圏ではHIVといえば若者の感染する病気だと思われがちだが、長野県では中高年を中心に蔓延し、実際にその日の患者さんも3人とも中高年の方であった。
HIVという感染症そのものにくわえ、社会からの偏見、一日たりとも欠かせない服薬治療、飲み忘れによる耐性ウイルスの増殖など、患者さんの心を煩わせることはいくらでもあるのだろう。CD4やウイルス量などの目に見える数値に一喜一憂しながら、患者さんはこの病気と生涯付き合っていくことになる。しかし、実際に診察室で患者さんを前にすると、彼らがどこにでもいそうなあまりにも普通なおじさん・おばさんであることに少なからず驚かされた。私が勝手に持っていた悲壮な雰囲気は、一見すると見受けられなかった。
 1人目と2人目の患者さんは中高年の男性であった。1人目の方のウイルス量が増えていることを受け、先生が薬の飲み忘れはありませんかとたずねたところ、飲み忘れはないとの返事。しかし、診察室を出た後に先生がおっしゃるには、飲み忘れでもしない限り、そこまで検査結果の悪化は考えられないということであった。先生とのやり取りの間、その患者さんが見せるうつろな目を思い出し、なんとも切ない気分にさせられた。
2人目の患者さんも、同じくウイルス量の増加が認められた。問診の結果、こちらはHAARTの抗ウイルス薬と飲み合わせしてはいけない胃薬を飲んでいたためではないか、ということになった。患者さん向けの冊子をその患者さんに渡し、飲み合わせの説明をしたところ、患者さんは合点といった顔をした。しかし、患者さんが診察室を出たあとに先生がおっしゃるには、以前にも飲み合わせの説明はしているし、おそらくこれからも患者さんは飲み合わせの悪い薬を飲み、数値を悪化させるのではないか、ということであった。HAARTの登場によって、もはやHIVは死の病ではなくなったが、HIVやその治療と向き合っていくことが思いのほか困難であることを思い知らされた。
3人目の患者さんは、60歳過ぎだろうか、おばちゃんであった。ベージュの帽子を被り、きれいに着飾ったその患者さんは、彼女の明るい雰囲気からも、年齢からも、私の抱いていたHIV患者さんのイメージからはかけ離れたものであった。2人目の患者さんと名字が同じだと思ったら、2人はご夫婦ということであった。
そのとき、以前先生がおっしゃっていたことを思い出す。旦那さんがHIVの場合、奥さんも感染していると分かったとき、残酷かもしれないが安心する。HIVに感染しても奥さんにそれを感染させないような関係のカップルの場合、離婚に至るケースが多い。HIVに感染し、家族までも失った人は、ウイルスによって命を落とすのではなく、自らの手によって命を絶つケースがとても多い。一方、カップルでHIVに感染したケースでは、HIVに向き合うためのパートナーがいるわけで、独り身のケースよりも比較的良好な経過をたどることが多い。そんなことを先生はおっしゃっていたのだった。
さて、そんな彼女の診察中、ひとつ気になることがあった。彼女が「今日もお願いします」と言って、黒いビニール袋を先生に手渡すのである。最初、ここが田舎なだけに、家で採れた野菜や漬物などを、お世話になっている先生に差し入れに持ってきたのかとも思った。それにしても、数枚重ねにしたその黒いビニール袋は何か不自然であった。診察が終わり患者さんが診察室から出ていった後で、私は先生から、袋の中身が何か分かるかと尋ねられる。もちろん私には答えは分からない。が、先生にその袋を持たせてもらい、思いの外軽いことに気づく。結局答えが分からないまま、その黒い袋を開けさせてもらう。中身を見て驚く。中身は、HIV治療薬の空になったプラスチックのケースだった。先生がおっしゃるには、仮にも近所にそのケースを捨てたとき、ご近所さんからHIVの治療を受けていることが知られるのが怖く、そのために病院でケースを処理してもらうために患者さんは毎回ケースを持ってきているということであった。日本におけるHIVの受け止められ方を知らされるような、印象的な診療見学であった。

2009年9月19日土曜日

ポエトリーと新宿二丁目

今回は、少し前のこと、8月上旬にナイロビに滞在していたとき、キムに連れられて一度足を運んだポエトリーについて、そして、その関連で日本にいたときのことを投稿させてもらいます。
書きかけまま放置していた日記や曖昧になりつつある記憶を元に、最近改めて後半部分を書き加えたものです。
つぎはぎしながら書いた文章なので読みにくい部分もあるかと思いますが、よろしくお付き合いください。


ナイロビにいた頃に行ったポエトリーから話を始めさせてもらいます。
ポエトリーとは詩の朗読会のようなもので、数分間の持ち時間の中で出演者が好きな話題の詩を順番に披露していくというものでした。
事前に応募した人たちが出演できるそうなのですが、プロフェッショナルの人からアマチュアまでが参加できるそうです。
好きな話題と書きましたが、その多くは恋愛のようでした。
ただ、恋愛に限らず、自分のアイデンティティーや友人、家族、あるいは社会問題についてなど、どんな内容でもいいそうです。
まったりしたものをイメージしていたのですが、ある人はやさしいトーンで語り、ある人はラップのようにテンポよく力強く詠いあげ、ある人はバラードのように歌うなど、表現の仕方も様々でした。

正直なところ、速いテンポの朗読であったり、スワヒリでの朗読であったりで、内容をほとんどつかめないようなものも少なくはありませんでした。
ただ、そのムードは十分楽しめましたし、自分の心を打ち明け合うというイベントはとても新鮮でした。
映画館で開催されており入場無料だったのですが、日本ではなかなかないのではないでしょうか。

参加者の1人はプロの方だったのですが、その人はポエトリーよりも気軽に参加しやすい形にしたワークショップを開催している団体の方でした。
今回のポエトリーのように映画館のスクリーンの前に立ち大勢を前にして詩を披露するのではなく、少人数のグループでディスカッション形式で行うのだそうです。
そのワークショップでは、恋愛から始まり社会的な問題まで、例えばセックスやセクシュアリティーについてのディスカッションもしているそうで、コミュニケーションスキルを磨く有効なツールであるとイベント後に語ってくれました。

私がこれから関わることになるHIV/AIDSの予防啓発活動を展開していく際にも、このポエトリーという手法は、何らかの形で活用できるのではないだろうか、などと考えたりもしました。


ところで、ナイロビでポエトリーを見に行ってふと思い出したのが、日本で一度だけに見に行ったことのあるポエトリーのようなもの。
詩の朗読会、と言ったほうがいいかもしれません。
会場は新宿2丁目のディスコ、ケニアに向けて発つちょうど1ヶ月ほど前のことでした。

新宿2丁目と聞いてピンと来た方も多いかと思いますが、新宿2丁目はゲイの町として知られています。


ところで、なぜ私が新宿2丁目で開催されるポエトリー・朗読会に行ったか説明させてもらったほうがいいでしょうね。

HIV/AIDSと聞いて、皆さんは何を想像されるでしょうか。
怖い病気というイメージを持っている方も多いかと思うのですが、同時に、アフリカの病気、自分には関係のない病気と考えているか方も多いのではないでしょうか。
しかし、実際には日本でも新規感染者数は増加しており(ちなみに先進国の中で新規感染者数が増加しているのは日本だけなのですが)、幅広い年齢層にじわりじわりと感染が広がっているのが現状です。
適切な予防法を用いずにセックスをすれば感染しうる病気であるため、いわば誰しもが感染する可能性のある病気といってもいいでしょう。
ただ、日本の感染者の傾向を見ると、依然に男性間の性行為による感染が少なくないというのも、またひとつの現状でした。

ケニアのNGOでHIV/AIDSに関わろうとしているのに、自分の国の現状・現場を知らずして人様のことをとやかく言うのは違うのではないか。
ケニアに行く前に日本のことももっと知っておかなければならないのではないか。
そのように考え、私の知らない日本の現状の一面が見られるのではないかと期待し足を運んだのが新宿2丁目でした。

また、私の中で、どうしても日本におけるHIV/AIDSの問題と、アフリカにおけるHIV/AIDSの問題の間に接点が見出せずにいました。
おそらく「貧困」がキーワードのひとつとなるアフリカの問題。
一方、日本のHIV/AIDSの感染拡大という問題を考えても、何が問題の根底にあるのかも、拡大の結果どんな問題が生じているのかも、はっきりとしたものを捉えられずにいました。
そして、アフリカのHIV/AIDの問題と日本のHIV/AIDSの問題とが、全く別次元の問題のようにしか思えなかったのです。
それでも、アフリカと日本の間にも、HIV/AIDSを考える際の共通のキーワードがあるのではないだろうかとも思われたのです。
そんな私の知らない「何か」が見つかるのではないかと思い、新宿2丁目へと向かったのでした。


「Living Together」と題された、その詩の朗読会。
東京都のサポートのもと、ディスコで月に一度開催されているらしい。
ネットで簡単に下調べをしたものの、あまり詳細の分からないままであったが、まずは実際に行ってみることに。

手帳にメモした地図を手がかりに、地下鉄の最寄り駅から会場まで向かうのだが、街の雰囲気に戸惑いを感じる。
何かが違う。
手をつなぎ道を行きかうのは、男性カップル。
飲食店の前にアルバイト募集のチラシが張ってあるのだが、チラシの中の写真で微笑んでいるさわやか系のお兄さんは、制服を着ているのではなく、なぜかカラーブリーフ一丁。
壁に貼ってある、マッチョ系お兄さんのイラストのステッカー。
完全に肩に力が入る。
日本にいてこんなに緊張しながら街を歩くのは、初めて横浜の寿町を歩いたとき以来ではないかと思う。

何とか目当てのビルにたどり着き、ディスコのある地下へと階段を下る。
緊張が高まるなか、恐る恐る店のドアを開ける。
薄暗いディスコ。
カラーボールが天井からぶら下がっている。
一瞬、店のスタッフの視線が私に集まる。
ディスコという場所自体あまり縁がないので緊張するが、店のスタッフが全員男性であることが、さらに緊張を誘う。
店内に人影はまばらで、スタッフのお兄さんに詩の朗読会はここでいいのかとたずねると、1時間ぐらいしたら始まるから、それまでゆっくりしてくれとの回答。
が、全然くつろいだ気分になれず。

思う。
道端を歩いているときや電車に乗っているときなど、「あの子かわいいな」とか「乳でかいな」などと、いやらしい目で見知らぬ女の子のことを見ることがあるのだが、それと同じような形で、もしかすると誰かが私のことを見ているのかもしれない!
私のケツが狙われているかも知れない!
勝手な妄想が頭から離れず、ケツに力が入る。
休学してから都内の高校などに性教育の出張授業に行ったりしており、そこでは「いろんな愛の形があっていいと思う。異性間の恋愛だけではなく、同性間の恋愛だってありだと思う」などともっともらしく言っていたが、そんな言葉を撤回したくなる。
完全に偏見のかたまり。

受付のお兄さんに話しかけ、「HIVに興味があってここに来ました」的な自己紹介をする。
そんな会話の後、お兄さんの口から「ところで、ノンケですか?」という質問が出てくる。
「ノンケ? …!?」
ノンケって何だ!?
恐らく「その気がない」という意味なのだろうが、「その気」というのがヘテロのことなのだろうか、はたまたホモのことなのだろうか!?
ここで答えを間違えると、今までとは違った人生をこれから歩むことになるのではないかと若干パニックになる。
結局、ノンケとは異性愛者とのこと。
そんな風に周りの人とぎこちない会話を交わしながら、朗読会が始まるのを今かと待つ。
そして、だんだんと人が増えてくる。

到着してから1時間ほどした頃だろうか、イベントが始まる。
最初に、このイベント、「Living Together」の説明がある。
私たちの暮らしている社会にはHIVが存在している。
そんな社会で、HIVポジティブの人もネガティブの人も生活している。
そんなことを受け入れながら、HIVと、あるいは、ポジティブの人もネガティブの人も一緒に生きていこう。
「Living Together」にはそんなメッセージが込められているのだと説明がある。
はっきりと覚えていないのだが、そんなメッセージだったと思う。

説明の後、詩の朗読会が始まる。
HIVポジティブの人、ゲイの人、周りの人、そんな人たちの詩や手記を集めた詩集があり、そこから気に入った詩を選び、朗読するというもの。
匿名で寄せられたその詩集から朗読する詩を選ぶのだが、自分の書いた詩を選ぶのも他の人の詩を選ぶのも自由。
詩の朗読の後は、朗読をした人のフリートーク。
その詩に対する思いや体験談など、朗読した詩との関係の有無に関わらず、好きなことを語る時間となる。
毎回3人ほどが出演し、それぞれが詩の朗読とフリートークを繰り返す。

1人目はHIVポジティブのゲイ。
自分がゲイであることを受け入れること、ゲイとして生きていくことを選択すること、HIVポジティブであることを受け入れること、HIVポジティブとして生きていくこと。
そのどれもが決して容易いものではないことを、詩の朗読と彼のフリートークで知らされる。
彼なりにそんなことを受け入れた上でこのステージに立っているのだろうが、そんな彼が私と同じ歳であることを知り、さらに強い衝撃を受ける。
ヘテロセクシュアルでHIVネガティブな自分であるが、彼と同じような重荷を背負ったとき、果たして自分の足で歩くことができるのだろうか。
そんなことを考えさせられる。

2人目は二丁目でバーのマスターをしているポッチャリ系のゲイ。
HIVのステータスがどうだったかは、今私は覚えていない。
でも、ここで大切なのはHIVのステータスがどうこうではないのだろう。
記憶があいまいになりつつあるが、フリートークの中で彼は自分の過去をこんな風に説明していたと思う。

もう少し若い頃、STIに気を止めることもなく、かなりハイリスクなセックスを繰り返してきたという彼。
だがあるとき急に病気のことが不安になり、保健所に検査に行くことに。
保健所を前にしたときさらに不安が押し寄せ、足が止まり、その場に泣き崩れたという。
何とか友人の励ましで検査を受けるのだが、結果は予想に反しネガティブ。
そのときハイリスクな行為からは足を洗うことを誓う。
と、ここで話が終わるかと思いきや、どうしたことかまた過去と同じようなセックスをするようになったのだという。
そんなことを何度か繰り返し、最終的にどんなきっかけで危険なセックスから卒業したのかは覚えていないが、今に至るというという。

3人目は、ゲイでもHIVポジティブでもなく、厚生労働省の医系技官。
このイベントを告知するポスターにはネクタイを締めた彼の写真が載っており、ポスターからは新宿2丁目に似つかわしくない空気を漂わせていた。
が、彼のトークはそんな先入観を裏切るものであった。
医者としてではなく、お役人としてではなく、1人の人間として、家族について、命について彼は語った。
初め、フリートークで彼が自分の子供や家族の話を始めたときは、なんてこの場にふさわしくない内容なんだろうと思ったのだが(ゲイである彼らは家族と疎遠になるケースが多いし、男性間では子供は持てないので)、彼は自分の父親と子供の死について語り、それは場違いでもなんでもなく、HIVという言葉もゲイという言葉も出てこないながら、会場をひきつけるものであった。

三者三様の朗読とフリートークであったが、どれも興味深いものばかりであった。
そして、ここで感じた一番の感想は、これは確かにゲイを主な対象にしたイベントではあったが、ここで語られた恋人同士の関係や社会との関係、HIVと生きるということは、特にゲイに限ったものではなく、セクシュアリティーに関係なく敷衍して捉えられることができるのではないのだろうかというものだった。
実際のところ、日本全体で見たら男性間の性行為による感染が多いのだが、個々のケースで見れば、たまたま男性間での感染であったり、たまたま異性間での感染であったりするわけで、その前後に出てくる問題は、決してゲイだから出てきた問題ではないのだと思う。
多少のシチュエーションの違いはあれ、異性間であろうと同性間であろうと、お互いのSTIのステータスが分からない状態で関係を持とうとするのなら、コンドームを使うことがベストなことに変わりはないだろう。
そして、コンドームの使用を含め、カップルの間でのさまざまな課題に対すてコミュニケーションの機会を持つことの重要性というのは、ゲイのカップルだけではなくすべてのカップルに必要なものなのではないだろうか。
あるいは感染後のことを考えても、HIVをどうやって受け入れ、どうやって付き合っていくのか、また、HIVに感染した状態でどうやってパートナーと付き合っていくのかといった問題は、セクシュアリティーによって決定的な違いがあるものではないのではないだろうか。
そんなことをイベントの後に考えていたと思う。


そして、いままでのケニアでの活動を合わせて新宿二丁目でのイベントを考えてみると、さらにスティグマとイグノランスというキーワードが浮かんでくる。

日本とはHIV感染率の桁が違うケニア。
一方で、HIVに対する意識も高く、HIVの検査を受けている人の割合も日本とは桁違いに高いケニア。
そんなケニアであるが、いまだに感染が拡大しているのもまた事実であるし、アウトリーチに出ても、VCT(カウンセリングとテスト)を受けようとしない人に少なからず出会ったのも事実である。
そんな時、ケンやPEたちに、どうしてケニアでは感染がこんなにも広がり、またVCTが本来必要とされているほど十分に普及していないのかと尋ねると、必ず返ってくる言葉がスティグマとイグノランスであった。
正直なところ、この2つの言葉だけで語れるものではないと私自身は思うし、日本との違いの中で、他にもおぼろげながら見えてくるケニアの抱える問題点というものも感じたりする。
それでも彼らが言うように、スティグマとイグノランスの影響は大きいのだろう。
そして、今思うと、それは日本もまた然りなのだろう。

奔放で無防備なセックスを繰り返し、あるとき急に病気のことが不安になり、保健所に検査に行くも保健所を前にしたとき、あまりの不安から泣き崩れたというバーのマスター。

自分たちはもうすでにHIVの存在する社会に暮らしているということ、HIVに限らずSTIは自分にも関係しるということ、しかし予防策をとればHIV感染の可能性は0に近づけることができるし、感染しても適切な治療により死を恐れる病気ではないということ。
かつてのマスターがそんなちょっとしたことを知っていれば、彼は不必要にHIVにおびえることもなかっただろうし、HIVから逃げようとすることもなかっただろうと思う。
それと同じく、ケニアの人が知っていれば、日本の人が知っていればとも思う。

時代に即していない知識や誤った知識からスティグマが生まれ、スティグマが知識の更新の障害となり、イグノランスな状態となる。
イグノランスがさらにスティグマを助長し…。
そんなスティグマとイグノランスのスパイラルがあり、日本にしてもケニアにしても新規の感染例は止まらず、VCTへの足を遠のかせているのだろう。

だからこそ、適切な情報・知識が大切になってくる。
それに加え、問題を他人事として捉えるのではなく、自分に引きつけて捉える姿勢も大切になってくる。
だが、多くの人がそんな姿勢を取るようにするのも決して簡単なことではないのだろうとも思う。

そんなときに思い出されるのが、新宿二丁目での詩の朗読会「Living together」やナイロビでのポエトリーである。
ゲイという同じセクシュアリティーを共有するもの同士、あるいは若者同士が集う場で、自分の思いや悩みを語り、仲間の話に耳を傾け、皆でそれを共有する。

ポエトリーの場でHIVについて語るのは少し話題が重過ぎるかもしれないし、日本でHIVの詩の朗読会ができるのも、そこが新宿二丁目という特殊なコミュニティだからなのかもしれない。
それでもなお、ポエトリーという手段がHIVと向き合う際に、とても力強い手段になるのではないか、そんな風に今感じている。


今までのところ、ケンにくっついて仕事の手伝いをする程度のことしかできていないが、これから私のバックグラウンドを活かしつつ、何らかの形でケニアでアウトプットができないかと考えたりもする今日この頃。

2009年7月29日水曜日

高知大生、ケニアに行く

来月8月から、ケニアにあるNGOへインターンとして研修に行くことになりました。

ケニアに行くに際し、ブログを開設することにしました。


三日坊主なために日記などは続かない私。

しかし、人に見せるというプレッシャーからブログなら続けられるかな、という動機がまずひとつ。

また、今回の研修は現地で直接実績を残すことに意味があるのではなく、それよりもそこでの経験を人に伝えることの方に意味があるのではないかと思い、その手段としてこのブログを書くことにしたというのが、もうひとつの動機。
専門的な知識・技術も、あるいは語学も備わっていない私にとって、直接現地に貢献できることなど限られていますが、そんな私なりにできることが、「伝える」ことだと思っています。

そして、現地で体験したことを改めて文字に起こす中で、自分自身が経験を消化・吸収する作業になればいいな、と思っています。

そんないろいろな動機があるわけですが、結局はアイセック(後日説明します)の皆さんに言われたので、ブログを開設したというのが正直なところです。

私の気力や現地のネット環境などの兼ね合いで、今後どの程度の頻度で更新していけるか分かりませんが、ぜひともお付き合いいただけたら幸いです。



最後にブログのタイトルに説明させてもらいます。

「高知大生、ケニアに行く」について。

かなり以前の話になるのですが、私の通っていた中学・高校には、韓国からの留学生が毎年来ていました。
その中の一人、U君が帰国後に日本での体験をつづった本を出したのですが、その本のタイトルが「高校生、日本に行く」というものでした。
もちろんハングルで書かれた本で、タイトルの原文は分からないのですが、日本語訳をするとそうなる、とのことでした。
彼はその1年間の滞在の中で、私の家に一度遊びに来てくれたのですが、そのときのことも本に書いていてくれていたのです。

今回、私が海外に行くことになり、ふとそのエピソードを思い出し、タイトルをパクらせてもらうことにしたのです。

「○○○、ケニアに行く」の、○○○の部分を迷ったのですが、私の通っている大学名を使わせてもらうことにしました。