2009年8月5日水曜日

英語が分からない

8月5日

午前中はキムの知人宅へ。

マタツを乗り換え中心部から少し離れたところにあるマンションへ。

1人目はアイセックのOG。彼女の夫が、私のこれからの仕事場であるBusia出身ということで、家族を紹介してくれることになる。

2人目もアイセック関係のキムの友達。その彼の彼女も家に来ていたのだが、大学で日本語の授業を取ったことがあるといい、日本語で少し話をする。といっても「日本語は難しいです」とか。外国語を学ぶことの大変さを知っているからか、私に話しかけてくれるとき、ゆっくりはっきりと英語を喋ってくれる。ちょっと助かる。

昼からは、キムの友達のお父さんのお葬式があるということで、カトリックの教会へ行くのに一緒させてもらう。

ミサを挙げ、その中で追悼を行なうのだが、話している内容自体ははっきり分からないのながら、ミサの流れは日本のカトリックのミサと同じようである。

葬儀のミサながら、パーカッションを奏でるアップテンポな聖歌を歌ったりすることに驚く。日本のミサはクリスマスであってもそこまでハイではないのに。

式の最後は、神父、そして故人の知人たちのスピーチ。日本で言う弔辞なのだろうが、ここでも驚いたのは涙を誘うようなものではなく、むしろ時々笑いの起こるようなものであったこと(といっても内容がつかめず、私は何で笑っているのか分からなかったのですが)

後で聞いたところによると、故人との楽しかったエピソードを語るから暗い雰囲気にならず明るいものになるのだという。

お葬式のぱっと見の雰囲気が日本とは違うのは、服装のせいがあるのかも知れないとも思う。参列者は普段着の人が多く、スーツを着るにしても黒いネクタイをしている人などはほとんどいない。ケニアの人が日本のお葬式を見たらびっくりするのではないかと思う。

残念ながらスピーチの話の内容が十分につかめず、さらに何人にもの人が喋るので、途中から眠くなる。ごめんなさい。

式の後、参列者は列を作り遺族に順番に挨拶をしていく。結構な人数の人がいる。

私も並んでいいものか迷ったが、構わないと言われ、列に加わり遺族に挨拶する。「君の事は見たことないけど」と言われるが、キムの友達だと伝えると笑顔で返してくれる。非常に申し訳ない。

キムやアイセックのメンバーに感想などを述べ、また日本のお葬式の様子などを説明する。といってもしどろもどろに。外国人に理解されにくいと言われる、日本人の宗教観についての説明は、今の力ではやっぱり難しい。

もう少し英語が上手に操れたら葬儀や宗教観についてやり取りができただろうし、お葬式に出てももっと多くの気づきがあったのではないかと思うと残念である。

昼過ぎからはキムの友人たちと労働環境に関するシンポジウムを聞きに行く。正直、シンポジウムでは話の内容にぜんぜんついていけない。へこむ。

シンポジウムの後、ナイロビ大学にあるアイセックのオフィスで時間をつぶす。周りがおしゃべりをする中、会話に全くついていけず、さらにへこむ。11の会話だとまだ話ができるのだが、何人かが会話をする中に入ると、完全に置いていかれる。

その後、アイセックのメンバーと飲みに行く。おつまみなしで、Kenya Kingというジンを飲む。

椅子が固定されており隣の人と話がしやすいポジショニングだった。さらに英語がネイティブではない研修生いるので、話しやすかった。お酒も入っていることも手伝い、盛り上がる。今日1日コミュニケーション不全でかなりへこんでいたので、人と話ができることにすごくうれしくなる。普段の会話もこんな感じでできたらいいのにと思う。